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<title>Sub specie aeterni</title>
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<tagline>松下邦彦の覚え書き</tagline>
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<title>「東京骨灰紀行」(小沢信男著、2009年、筑摩書房)</title>
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<summary type="text/plain">80過ぎのご老人が下町を歩いて歴史を辿る。といっても、下町情緒をしのぶ散策本には...</summary>
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<![CDATA[<p>80過ぎのご老人が下町を歩いて歴史を辿る。といっても、下町情緒をしのぶ散策本にはあらず。訪ねるのは、仕置場跡、刑場跡、墓地、記念碑、被服廠跡などなど、お題の「骨灰」にかかわるところばかりだ。東京は江戸と呼ばれていた時代を含めて人口が多い。人がたくさん生きていれば、たくさん死んでいるのも道理。東京には、おびただしい数の死体や骨灰が埋められているのである。</p>

<p>死体や骨灰の中には、刑死、焼死、あるいは戦死など非道な死に方をしたものも多い。とくにこの百年間には、大きな地震と大きな戦で、生きていた人が唐突に死体になることも多かった。事態の深刻さを死人の数で表すのは気が引けるが、10万人でひとくくりという扱いには粛然とさせられる。</p>

<p>骨灰をめぐる散策は両国で始まり両国で終わる。両国駅の南側には古い寺院が、北側には関東大震災で数万人が焼死した被服廠跡がある。通信会社のビルがそびえ立つ被服廠跡近くの記念施設には、先の戦で焼死した多くの人も祀られている。江戸時代の話題では戯作めいていた文章は、被服廠跡地に至って哀調を帯びる。大地震と戦災の死者は、歴史に回収されないリアルな記憶の領域にとどまっているのだ。</p>

<p>ちなみに、わたくしの祖父（父親の父親）も1945年3月10日の東京大空襲で焼死した10万人の一人である。さいわいというか、身元は特定され、遺族にお骨が届けられた。それからおよそ30年後、墓地を移すために骨壺を掘り出した。白い壺の蓋を開けると、茶褐色の骨が見え、同時に焦げたような臭いが漂った。以来、何度か火葬場でお骨を拾ったが、こんなお骨に出くわしたことはない。空襲直後の混乱のなか、十分な焼き方ができなかったのだろう。</p>

<p>祖父の骨についてはもう一つエピソードがある。掘り出した骨壺は、新たな墓所に運ぶ前にいったん自宅にお迎えした。しばらくして、外で水を流す音がする。と同時にあの臭いがまた漂ってきた。祖母が祖父のお骨を洗っていたのだ。その姿を見ることはためらわれた。このとき、赤い夕陽が差していたように記憶している。</p>]]>

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<title>「女優 岡田茉莉子」(岡田茉莉子著、文藝春秋、2009年)</title>
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<modified>2009-12-27T14:51:18Z</modified>
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<summary type="text/plain">岡田茉莉子の女優デビューは1951年。爾来、第一線で活動を続け、そのキャリアは日...</summary>
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<![CDATA[<p>岡田茉莉子の女優デビューは1951年。爾来、第一線で活動を続け、そのキャリアは日本の戦後映画史の大半をカバーしている。したがって、自伝はおのずから戦後映画史の趣を持つ。</p>

<p>岡田茉莉子はサイレント期の映画俳優、岡田時彦を父にもち、一歳で死別した。高校時代のある日、たまたま観た古いサイレント映画の題名を母に告げたとき、主演俳優が父だと知らされたという。映画女優として生きる運命を象徴する有名なエピソードである。また、事実、自分の知らないところで映画女優となるきっかけになっていたという。</p>

<p>もちろん、夭逝した俳優の子女が映画俳優としてデビューしても、みなが映画俳優として生き続けるわけではない。たとえば、岡田茉莉子と同じ時期に出演作が多かった桑野みゆきという女優。夭逝した桑野通子の娘である。二十代半ばで結婚して引退した。女優を生き続けるには、環境や当人の資質にくわえて、本人の意志が決定的なのだ。本書によれば、岡田茉莉子はアイドル女優だった頃から「女優 岡田茉莉子」となることに努めてきたという。</p>

<p>さらに、吉田喜重という映画監督を伴侶に得たことが女優として生きることを強く後押ししたことは間違いない。1960年代、岡田茉莉子と吉田喜重は、女優と監督というコンビで質の高い作品を多く生みだした。この時期、ほかにも小山明子・大島渚、岩下志麻・篠田正浩という女優・監督コンビが活躍したが、夫婦による「合作」に成功作が多い点では岡田茉莉子・吉田喜重コンビがベストだろう。</p>

<p>本書には、撮影所や映画監督の現場の雰囲気が描かれている。これは、映画史の証言として貴重だ。たとえば、プロデューサーシステムの東宝、監督中心の松竹の撮影所の違い。あるいは、成瀬巳喜男から小津安二郎に至る多くの巨匠・名匠たちの現場の雰囲気がなまなましく感じられる。</p>

<p>そして、もちろん吉田喜重監督のエピソードも多く綴られている。穏やかに見える吉田善重が、ときには落胆し、ときには熱く語り、ときには精神の不調を訴えるという逸話は、監督本人は望まないだろうが、吉田喜重の映画作品を観る上では興味深い。</p>

<p>岡田茉莉子・吉田善重コンビの最新作は2003年の「鏡の女たち」である。これ自体が、30年ぶりのコンビ作だった。彼らより年長の本家ヌーヴェルヴァーグの監督たちはまだ旺盛に映画を撮り続けている。彼らの新作を観てみたいものだ。</p>]]>

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<title>「私が書かなかった本」(ジョージ・スタイナー著、伊藤誓他訳、みすず書房、2009年）から(2)</title>
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<modified>2009-11-09T15:22:31Z</modified>
<issued>2009-11-09T14:19:17Z</issued>
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<summary type="text/plain">ジョージ・スタイナーは今年で八十歳（傘寿？）を迎えた。本書には、彼がついに書かな...</summary>
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<![CDATA[ジョージ・スタイナーは今年で八十歳（傘寿？）を迎えた。本書には、彼がついに書かなかった、そしてもはや書かないであろう書物の覚え書きが収められている。
<blockquote>中国趣味について CHINOISERIE、妬みについて INVIDIA、エロスの舌語 THE TONGUES OF EROS、ユダヤ人について ZION、学校教育を考える SCHOOL TERMS、人間と動物について ON MAN AND BEAST、論点回避 BEGGING THE QUESTION</blockquote>
スタイナーはユダヤ系オーストリア人の子としてパリに生まれ、米国と英国で高等教育を受けた。家庭で仏独英の三カ国語を母語として覚え、後にイタリア語も習得したという。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ・スタイナー">著作</a>は何かしら言語に関わるものが多い。

本書の白眉は第二章の「エロスの舌語」である。四つの言語における性体験から、言語と性行為とのひとかたならぬ関連を論じている。本章はこう結ばれる。
<blockquote>私の特権は、四つの言語を用いて、愛を語り、愛を行うことであった。それに四つの言語の間隙に置かれることもあり、時には躊躇を覚え、時には愉快なこともあった。四言語の駆使は多少とも異例な幅であろう。異性愛に限定されたために、活力あふれる領域と水底に眠るあらゆる種類の財宝に近づくことは私にはできなかった。言語行為と性行為の生成的相互関係--根源的意味の「オーラルセックス」--は、決定的に重要であるにもかかわらず、その大部分が未踏査の領域であると私は確信している。文化史と社会史、心理学と比較言語学、詩学と神経生理学、これらの観点から行われるべき探求は広範囲に及び、かつ困難を伴う。証拠が取得可能の場合でさえも、それらの証拠は逸話風でしかも印象主義的である。意味論的ドンファン主義は、踏破され探検されるのを待つ未開拓領域のままである。おそらくオルガスムスの共有とは同時通訳の行為なのであろう。それなら、開拓者にとどまるとしても、私にも何か貢献できたかもしれなかったと思う。しかし、その貢献をしたら、私の私生活で最も重要でかけがえのないものに傷をつけることになったかもしれず、やむなく断念せざるを得なかった（本章は危険域に達している）。無分別な行為もおのずと限界は心得なければならない。(p.123)</blockquote>
「私の私生活で最も重要でかけがえのないものに傷をつけ」ないために、この書物は書かれることがなかった。それでも、本章で紹介される四つの言語ごとのエピソードはそれぞれに危険域の生々しさをもっている。著者がエピソードを記述するにあたって、生々しい体験として回想していることが想像できるほどだ。<br/><br/>
記憶は、いっぱんに元の体験の生々しさを失って、言語で記述された物語となって定着する。老人の昔話がよどみないのは何度も語った定番の物語となっているからだ。精神科医の中井久夫によると、元の体験の生々しさが残るのはトラウマの場合だという。ところが、性体験は、言語化されずに生々しいまま記憶される。<br/><br/>
性体験と言語との関連はとても興味深いテーマだが、それはやはり論じるものではなく、体験するものなのだろう。]]>

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<title>AirMac Expressの設定で難儀</title>
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<modified>2009-11-05T14:17:23Z</modified>
<issued>2009-11-05T13:50:26Z</issued>
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<summary type="text/plain">部屋のレイアウトを変更したらiMacとオーディオセットが離れてしまった。そこで、...</summary>
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<![CDATA[<p>部屋のレイアウトを変更したらiMacとオーディオセットが離れてしまった。そこで、AirMac ExpressでiMacとオーディオセットを接続。このとき、AirMac Expressを既存のWiFiネットワークに接続するのに一苦労した。</p>

<p>ポイントは、Mac上のAirMacユーティリティでAirMac Expressを操作できるようにすること。AirMac Expressには二つの動作モードがあることに注意しなければならない。</p>

<p>「ワイヤレスネットワークを作成」<br />
自分がWiFiネットワークの中心となり、ほかの機器からの接続を受け付けるモード。「俺様モード」と名付けよう。</p>

<p>「ワイヤレスネットワークに接続」<br />
既存のWiFiネットワークに接続するモード。「しもべモード」と名付ける。</p>

<p>AirMac Expressの出荷初期状態は「俺様モード」である。したがって、Air Macユーティリティで設定するには、Macを既存のWiFiネットワークから、「俺様モード」のAirMac Expressが構成するネットワークに切り替える必要がある。(AirMac ExpresのSSIDは失念)</p>

<p>既存のWiFiネットワークから切り離すので、インターネットは使えなくなる。マニュアルや参考記事は切り替える前にブラウザに表示しておく。</p>

<p>AirMacユーティリティはウィザード方式のお任せ設定ではなく「手動設定」に進む。「ワイヤレス」タブで「しもべモード」（「ワイヤレスネットワークに接続」）を選び、ワイヤレスネットワーク名、セキュリティ、パスワードを設定する。</p>

<p>既存のWiFiネットワークでMacアドレス制限を設定している場合は、AirMac ExpressのMacsドレスを忘れずに登録する（「AirMac ID」がWiFiのMacアドレス）。新しい機器を導入するたびに、毎度毎度ひっかかる難所である。</p>]]>

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<title>「私が書かなかった本」(ジョージ・スタイナー著、伊藤誓他訳、みすず書房、2009年）から(1)</title>
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<modified>2009-10-20T14:02:23Z</modified>
<issued>2009-10-20T13:27:37Z</issued>
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<summary type="text/plain">批評家ジョージ・スタイナーの近著「私が書かなかった本」に収められた「妬みについて...</summary>
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<![CDATA[<p>批評家ジョージ・スタイナーの近著「私が書かなかった本」に収められた「妬みについて」には、妬みという仄暗くかつ激烈な感情が、格調高く力強く綴られている。</p>

<blockquote>どんな神話、どんな文化的原型でも、自分では理解できないまま恣意的に不利な立場に立たされるカイン的人物が登場する場合、その人物は必ずアベル的人物を捜し求めるものである。(p.66)</blockquote>

<blockquote>他のところで(『師の教え』のこと)、私は教師と生徒、師と弟子のあいだにある緊張関係の分析を試み、そこには心的な去勢が避けられないとしたことがある。師弟両人において誇りと嫉妬が同時に存在することで、その関係はある意味で矛盾に満ちたものとなる。作用しているのは、悪名高いダブルバインドである。(p.72)</blockquote>

<blockquote>親密な交際、近接した活動の場、距離はあっても同時代を生きること、これらは妬みを生む可能性がある。その際の心臓の鼓動は非情に診断が難しい。なぜならそこには愛情とともに憎悪があり、両方の血流が交じるからである。オーディ・エト・アモ[愛憎]。これらの活動は精神と感受性に関わるもので、性愛の領域にもそのままつながる。(p.76)</blockquote>

<blockquote>オックスブリッジの成績評価記号で言えば「β++」を用いて二流の頂点を表す。私がすでに暗示したように、二流の頂点にいる人が本物の存在を身に沁みて感じるとき、二流降格の苦みはもっとも強い痛みを伴う。自分の作品が外部からどんな報酬が贈られ、どんなに有用であると思われようとも、本物の生命力にはまったく及ばないと納得するときである。(p.80)</blockquote>

<blockquote>（焚刑に処せられた）チェッコは人生最後に残された洞察力と集中力の瞬間において、自分がダンテの至高の天才と名声を妬むライバル、多少とも軽蔑される同時代人であり続けたことを知る。この認識がもたらした苦悶はおそらく、少なくとも一瞬のうちは、言語に絶する激痛をもたらす差し迫った死の予感よりも、よりいっそう残酷であった。(p.83)</blockquote>]]>

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<title>「アメリカ映画風雲録」(芝山幹郎著、朝日新聞出版)</title>
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<modified>2009-09-07T12:11:53Z</modified>
<issued>2009-09-07T11:10:33Z</issued>
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<summary type="text/plain">アメリカ映画は二度面白い。一つは作品そのものが。もう一つはその製作過程が。 本書...</summary>
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<![CDATA[<p>アメリカ映画は二度面白い。一つは作品そのものが。もう一つはその製作過程が。</p>

<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022504307?ie=UTF8&tag=subspecieaete-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4022504307"><img src="http://ec2.images-amazon.com/images/I/41DRjS-7v%2BL._SS200_.jpg" alt="アメリカ映画風雲録" /></a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=subspecieaete-22&l=as2&o=9&a=4022504307" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /></p>

<p>本書が伝える映画の製作過程は、凡百の映画以上にスリリングである。プロデューサーと監督の確執は言うに及ばず、俳優、脚本家、それに撮影監督までもが重要な役割を担う。それは筋書きのないドラマだ。しかも多くの場合はドタバタ喜劇である。我々が目にする完成された映画は、ドタバタ喜劇の末にたまたまできあがった代物なのだ。</p>

<p>著者が各章の見出しに掲げるのは、クリント・イーストウッド、セルジオ・レオーネ、ドン・シーゲル、ロバート・オルドリッチ、ベティ・デイヴィス、スタンリー・キューブリック、ジョージ・C・スコット、フランシス・フォード・コッポラ、サム・ペキンパー、クエンティン・タランティーノ。こうした濃厚な面々が関わった映画は、当然ながら製作過程を抜きにしてもとびきり面白い。</p>

<p>紹介されている映画の中では「許されざる者」(イーストウッド)、「続・夕陽のガンマン」(レオーネ)、「ワイルドバンチ」(ペキンパー)はDVDを購入したほどのお気に入りである。「続・夕陽のガンマン」はVHS版も持っている。本書を読んでから「何がジェーンに起こったか」(オルドリッチ)と「白い肌の異常な夜」(シーゲル)を観た。どちらも、心を揺さぶられる映画だった。またじつは、今までタランティーノは食わず嫌いだったが、どんどん食べてみよう。なんせ、タランティーノを紹介する章の見出しは「食べるタランティーノ」というので。</p>

<p>なお、本書にはときおり「（イーストウッドは）このころからフェイスリフトを始めたという説もある」といった下世話なネタが仕込まれている。これが、筋書きなき製作過程ドラマにパンチを効かせている。</p>

<p>本書を読んでから映画を観ても、映画を観てから本書を読んでも、二度あるいはそれ以上楽しめることは間違いない。</p>]]>

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<title>「ニッポンの思想」(佐々木敦著、講談社現代新書)</title>
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<modified>2009-09-05T13:23:05Z</modified>
<issued>2009-09-05T12:20:48Z</issued>
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<summary type="text/plain">1980年代から現在に至る「ニッポンの思想」の変遷を辿る一冊である。 十年ごとに...</summary>
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<![CDATA[<p>1980年代から現在に至る「ニッポンの思想」の変遷を辿る一冊である。</p>

<p>十年ごとに「ニッポンの思想」の代表者が掲げられている。1980年代は浅田彰、中沢新一、蓮實重彦、柄谷行人。1990年代は福田和也、宮代真司、大塚英志。そして、ゼロ年代は東浩紀の一人勝ち。</p>

<p>各年代は以下のように総括されている。<br />
<blockquote>「八〇年代の思想」は「現状」に対して「批判的（否定的）」でした。「九〇年代の思想」は「現状」に対して「関与的（留保付きで肯定的）」だったと思います。そして「ゼロ年代の思想」は「現状」に対して「受容的（肯定的）」です。「ゼロ年代の思想」は、「世界」を「変革（更改）」しようとするのでもなく、この「世界」を「甘受」する、こう言ってよければ「受け入れる」だけです。それは「世界」も「社会」も変えもしなければ分かろうともせず、ただ「こうだったからこうなのだ」とトートロジカル（同語反復的）に頷くことから始めます。しかし、ではいったい何を始めるというのでしょうか？(p.328)</blockquote></p>

<p>「ゼロ年代の思想」について提示された問いについては、以下のような解答が与えられている。</p>

<blockquote>いうなれば東浩紀は、「世界」と「社会」の「現状」を、その絶えざる「相対化＝ポストモダン化」も込みに、とりあえず「受け入れる」ことによって、「ニッポンの思想」が、三十年にも及んで、ぎったんばっこんと上がり下がりを繰り返してきた「シーソー」から、ひとり降りてみせたのだと思います。そして彼は何を始めたのか。それは一言でいうならば、「ゲームボード」の設定、より精確には「再設定」だったのだと思います。(p.321)</blockquote>

<blockquote>「再設定」された「ゲームボード」の条件は、二つあります。第一に、とにかく「勝敗」がはっきりすること、第二にそれが、何らかの具体的な「成功」と結びついていることです。(p.335)</blockquote>

<blockquote>「ゼロ年代の思想」という「ゲーム」は、もう「遊戯」ではありえず、それがどういう意味であれ、真剣な「競技」であらねばならないのです。でなくてどうしてひとは、今更わざわざ「思想」をしようなんて思うのでしょうか？(p.336)</blockquote>

<p>本書で掲げられた「思想家」の中では、「八〇年代」の代表者として掲げられている蓮實重彦と柄谷行人は著作をフォローしてきた。けれども、「九〇年代」以降の「思想家」については、議論を巡らす問題に切実な関心がもてないでいる。</p>]]>

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<title>事業領域とシステム構築の方法</title>
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<modified>2009-08-17T11:52:13Z</modified>
<issued>2009-08-17T11:19:47Z</issued>
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<summary type="text/plain">ビジネス価値が高い領域はスクラッチ開発、低い領域はSaaS/ASP。ここに「IT...</summary>
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<dc:subject>informatica</dc:subject>
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<![CDATA[<p>ビジネス価値が高い領域はスクラッチ開発、低い領域はSaaS/ASP。ここに「ITがコア／非コア」という縦軸を入れると、BPO領域がマッピングできる。</p>

<p><a href="http://www.flickr.com/photos/25830215@N03/3829970842/" title="business_area_system_dev by mat9215, on Flickr"><img src="http://farm4.static.flickr.com/3487/3829970842_761eee5620.jpg" width="400" height="252" alt="business_area_system_dev" /></a></p>

<p>合わせて「内製／委託」という区分も乗せてみた。ちょっと分かりにくい。「ITがコア／非コア」という区分が、企業の中の個々の事業の位置づけか、それとも企業のIT重視度か、どちらとも取れる。「内製／委託」は、後者に影響されるのではないか。</p>]]>

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<title>「世界の10大オーケストラ」(中川右介著、幻冬舎新書)</title>
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<modified>2009-08-16T14:22:26Z</modified>
<issued>2009-08-16T13:20:06Z</issued>
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<summary type="text/plain">近代史に翻弄されるオーケストラと指揮者たち。面白い読み物である。 コンサートで音...</summary>
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<![CDATA[近代史に翻弄されるオーケストラと指揮者たち。面白い読み物である。<p/>

コンサートで音楽を演奏する団体としてのオーケストラも、そこで演奏を統括する指揮者も、組織や職業として確立したのは19世紀である。西欧世界が国民国家に編成されていくのも19世紀。そして、20世紀の歴史は、国民国家を軸に大きく動くことになる。<p/>

本書で描かれる世界の10大オーケストラと指揮者たちは、第一次世界大戦、ロシア革命、ナチスの擡頭、第二次世界大戦、東西冷戦、社会主義体制の崩壊に遭遇する。指揮者たちもさることながら、オーケストラ自体がまるで生身の人間のように歴史の動きに翻弄される。<p/>

本書の記述はおもに1990年をもって終わる。
<blockquote>カラヤンの死とベルリンの壁崩壊、そして東欧の民主化とドイツ再統一にソ連崩壊をもって、十のオーケストラの大きな物語も終わった。(p.489)</blockquote>

歴史に翻弄される不幸が、また、オーケストラや指揮者の個性を生んでいたという。
<blockquote>個性がないのは、みんなが幸福になったからなのだ。個性あるオーケストラ、個性あるオーケストラ、個性ある指揮者が、戦争と革命の不幸な時代がもたらしたものだとしたら、それを生むためには、またも何千万もの人々が殺されなければならない。<br/>
《改行》現在のオーケストラに個性がなくても、別にいいではないか。昔のような個性を聴きたければ、過去の録音を聴けばいいのだ。そんな思いでこの本を書いてきたので、紹介したディスクは過去の演奏が中心になってしまった。(p.500)
</blockquote>
著者には、「巨匠たちのラストコンサート」(文春新書)という好著もある。オーケストラが主人公の本書に対して、指揮者を主人公した姉妹書である。]]>

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<title>Movable Type 4.261へのアップグレードで難儀</title>
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<modified>2009-08-12T12:43:01Z</modified>
<issued>2009-08-11T12:07:56Z</issued>
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<created>2009-08-11T12:07:56Z</created>
<summary type="text/plain">MT4.1へのアップグレードに引き続き、御難に遭遇。 アップグレード途中でストッ...</summary>
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<![CDATA[<a href="http://www.hundun.net/ssa/archives/2008/01/movable_type_41.html">MT4.1へのアップグレード</a>に引き続き、御難に遭遇。<br/>
<br/>
<u><strong>アップグレード途中でストップ</strong></u><br/>
エラーメッセージは以下のとおり。<br/>
<blockquote>アップグレード中にエラーが発生しました failed to execute statement ALTER TABLE mt_ts_job ADD CONSTRAINT mt_ts_job_uniqfunc UNIQUE (ts_job_funcid,ts_job_uniqkey): Duplicate key name 'ts_job_funcid' at lib/MT/Upgrade.pm line 2003..</blockquote>
これは前回と同様に、データベース・テーブルの既存のインデックスを生成しようとするエラー。myphpadminを使って、2つのテーブルのインデクスを削除し、アップグレードを実行する。前のアーティクルでは2つめのインデックスを記録するのを忘れていた。
<ul>
	<li>テーブルmt_ts_jobのインデックスts_job_funcid</li>
	<li>テーブルmt_ts_funcmapのインデックスts_funcmap_funcname </li>
</ul>
<u><strong>文字化け</strong></u><br/>
ブログタイトルやコメントの一覧、あるいはアーティクルの修正など、テキストをデータベースから読み出している箇所が文字化けする。これは、開発元のサポートページに修正方法あり。<br/>
<a href="http://www.movabletype.jp/faq/mt-425-perl561-patch.html">http://www.movabletype.jp/faq/mt-425-perl561-patch.html</a><br/>
<br/>
手作業でファイルを6個ほど交換する。なお、作業指示の手順9は手順6とまったく同じ。作業指示のミス。<br/>
<br/>
Movable Typeを使って6年たつ。最初の頃はサーバをいじるのが面白かったけど、このごろはアップグレードするのも面倒になってしまった。その上、アップグレードのたびに不具合が発生。まあ、不具合を解消するのも、多少は楽しんでいる。

ちなみに、前のアーティクルは数件トラックバックがあった。同じ不具合に遭遇する人が多い様子である。]]>

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<title>「「大日本帝国」崩壊 」(加藤聖文著、中公新書、2009年)</title>
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<modified>2009-08-10T13:06:03Z</modified>
<issued>2009-08-10T12:27:25Z</issued>
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<summary type="text/plain">第二次世界大戦における日本の敗戦を、敗戦によって失った領土から描く。多民族国家の...</summary>
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<![CDATA[<p>第二次世界大戦における日本の敗戦を、敗戦によって失った領土から描く。多民族国家の「帝国」が解体する過程に、「大日本帝国」の実相が浮き彫りになる。好企画である。</p>

<p>明治憲法下の日本は「大日本帝国」を国号としていた。当初から多民族国家を経営する意図を込めていたかどうかは定かではないが、領土拡張の結果として他民族を抱え込む「帝国」に変貌していった。最盛期の版図は、台湾、朝鮮半島、中国の一部、南洋諸島、北方諸島・樺太、東南アジア。多民族国家としての「大日本帝国」については、小熊英二の「単一民族神話の起源」と「<日本人>の境界」が網羅的な記述である。</p>

<p>「大日本帝国」は敗戦によって即座に崩壊した。</p>

<blockquote>（玉音放送について）「この放送は、天皇が「帝国臣民」に向かって初めて直接語りかけたものであったが、語りかけた「帝国臣民」はすでに「日本人」だけになっていた。「内鮮一如」「一視同仁」といったスローガンのもとに皇民化され「帝国臣民」となっていた朝鮮人や台湾人やその他の少数民族は含まれていなかったのである。」(p.57)</blockquote>

<p>また、ポツダム宣言を受諾するまでの過程についての以下の記述がある。</p>

<blockquote>「聖断が下されるまでに無駄ともいえる時間を徒に費やし、原爆やソ連参戦を経なければ実現されなかったことは、近年の研究でいわれているような指導層の優柔不断や自己保身が原因といったレベルの問題なのではない。最大の原因は、天皇大権を軸としつつ実は巧妙に天皇の政治介入を排除した明治憲法体制が、天皇を補弼すべき者が国家運営の責任を放擲し、セクショナリズムのなかで利益代表者として振る舞った場合、制度的に機能麻痺が起こるという根本的な欠陥を抱えていたことにあった。」(p.54)</blockquote>]]>

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<title>XHTML 2 cancelled</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hundun.net/ssa/archives/2009/07/xhtml_2_cancell.html" />
<modified>2009-07-07T13:05:50Z</modified>
<issued>2009-07-07T12:47:09Z</issued>
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<created>2009-07-07T12:47:09Z</created>
<summary type="text/plain">XHTML 2は、W3C勧告に至ることなく廃案となることが確定したとのこと。 X...</summary>
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<![CDATA[<p>XHTML 2は、W3C勧告に至ることなく廃案となることが確定したとのこと。<br />
<blockquote><a href="http://slashdot.jp/it/article.pl?sid=09/07/06/0142225">XHTML 2、廃案へ</a></blockquote></p>

<p><a href="http://www.hundun.net/ssa/archives/2007/04/html5xhtml2.html">2年前</a>もHTML5が優勢だった。予想通りの結末である。すでにFirefoxはHTML5を搭載している。GoogleからはChromeも登場した。IEのシェアは着実に低下している。</p>

<p>といっても、ブラウザは企業が覇を争う主戦場ではない。標準通りに、高速に画面を作成できればよい。戦いは雲の彼方で繰り広げられている。ブラウザはそれを覗く窓である。</p>]]>

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<title>「手の美術史」(森村泰昌著、二玄社、2009年)</title>
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<modified>2009-06-15T12:42:28Z</modified>
<issued>2009-06-15T11:53:23Z</issued>
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<summary type="text/plain">有名絵画から手のアップばかりを収めた画集。 目次 PROLOGUE 「手」を語る...</summary>
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<![CDATA[<p>有名絵画から手のアップばかりを収めた画集。</p>

<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4544200121?ie=UTF8&tag=subspecieaete-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4544200121"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51B9TIucmeL._SL500_AA240_.jpg" alt="手の美術史" /></a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=subspecieaete-22&l=as2&o=9&a=4544200121" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /></p>

<blockquote>目次
PROLOGUE 「手」を語る 「手」が語る<br />
I 手の誕生 レオナルドの素手がつかむもの<br />
II 手の礼賛 色とりどりの「手」が開花する<br />
III 手の破壊 カラヴァッジョの痙攣する手は地獄門を開く<br />
IV 手の復権 日々の働く手が美しい<br />
V プラドの手 色彩と光に溶け込む手が予兆するもの<br />
VI 手練手管の手 きれいな手の値打ち<br />
VII 手の変容 幸せな手、不幸な手<br />
VIII 手の解体 手は、岩でありダイコンであり紙片である<br />
EPILOGUE 「手」達よ!</blockquote>

<p>手は顔ほどに物を言う。あるいは、顔以上に能弁である。顔が表すたんじゅんな感情よりも、手が指し示す世界の方が複雑にして豊饒なのだ。</p>

<blockquote>「手」に注目すると、「顔」がじゃまになる。
こうなったらしめたものだ。<br />
「顔」に気をとられることなく、<br />
絵がながめられるからである<br />
「顔」ではなく、<br />
「手」が指し示す闇や空、水や火や樹々を見よ。<br />
絵の世界のなんと豊富なこと。<br />
人間の世界のなんとちっぽけなこと。(p.127)</blockquote>

<p>また、絵画史は手を解体する歴史でもあった、ともいう。</p>

<blockquote>画家とは描く人のことである。筆を持つ手は、なによりも大事な身体部位である。その手を現代の画家は解体してしまう。画家達は「手」を放棄したのだろうか。それともこれは、「手」の危機を訴える画家達の最後の一手なのだろうか。(p.159)</blockquote>

<p>森村泰昌は、自身が登場しながら名画を再現する「セルフポートレート」活動を続けてきた。本書の冒頭でも、有名絵画の「手」がまず「セルフポートート」群からまとめて紹介されている。この「手」が顔以上によく似ていることに驚く。</p>]]>

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<title>「なぜ世界は不況に陥ったのか」(池尾和人・池田信夫、日経BP社)</title>
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<modified>2009-08-12T12:26:31Z</modified>
<issued>2009-03-09T12:34:37Z</issued>
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<created>2009-03-09T12:34:37Z</created>
<summary type="text/plain"> サブタイトルに「集中講義・金融危機と経済学」とあるとおり、現下の金融危機を、現...</summary>
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<![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4822247236?ie=UTF8&tag=subspecieaete-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4822247236"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51WEW2oVP3L._SL500_AA160_.jpg" alt="なぜ世界は不況に陥ったのか 集中講義・金融危機と経済学" /></a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=subspecieaete-22&l=as2&o=9&a=4822247236" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /></p>

<p>サブタイトルに「集中講義・金融危機と経済学」とあるとおり、現下の金融危機を、現在の経済学の常識によって分析・解説している。おもな批判対象は、不況というと反射的に財政政策を訴える政治家、官僚、ジャーナリストたち。彼らが依拠する経済学は古いケインズ主義のままであり、現在の経済学では過去のものとなっている、という。</p>

<p>財政政策には短期的な効果しかなく、長期的には構造調整が必要。ただし、この構造調整は、「30年間そういう課題に直面していながら、解決できなかったわけで、30年間できなかったことがこれから数年でできるとは、正直に言って思えない。」(p.229、池尾和人氏)というものである。</p>

<p>エピローグでは、池田信夫氏が日本の状況を解説している。内容は、氏がブログで再三訴えているもの。</p>

<ul>
	<li>DPの落ち込みや株価の下落率は、主要国で日本が最大</li>
	<li>GDP比で1割の働き手(輸出産業)が9割の扶養家族(国内産業)を支える産業構造となっている</li>
	<li>もともと維持可能でなかった「輸出バブル」がアメリカの金融危機をきっかけに崩壊</li>
	<li>短期的な金融・財政政策に効果はなく、民間の経済主体が自分のリスクでチャレンジするしかない</li>
	<li>そのためには、資本市場の充実と人的資源の移動が必要</li>
</ul>

<p>リスクへのチャレンジで求められるイノベーションについては<a href="http://www.nextglobaljungle.com/2009/01/1_10.html">ここ</a>に講義録あり。</p>

<p>ほかに、本文で印象的だった箇所を引用しておく。<br />
<blockquote>少なくとも、経済学の道具箱にはいろいろな道具があるということは知っておいてほしい。普通、世の中の人が思いつきそうなアイディアは全部実はあるので、経済学はこういうことを見落としているとかいう話はあり得ない(笑い)。かなり頭のいい人が思いついたようなことでも、過去何百年かの歴史の中で一度も思いつかれていないアイデアなんていうのは、人類社会にはほとんどない。かつて思いつかれたことのあるアイデアのうちで、それかりに意味のありそうなことは全部、経済学の道具箱の中にあると思っていただいた方がいい。(p.140、池尾和人氏)</blockquote></p>]]>

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<title>「私の鶯」(島津保次郎監督、1943年・東宝＋満州映画協会)</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hundun.net/ssa/archives/2009/02/1943.html" />
<modified>2009-02-15T15:26:25Z</modified>
<issued>2009-02-15T12:49:35Z</issued>
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<created>2009-02-15T12:49:35Z</created>
<summary type="text/plain">李香蘭(山口淑子)の主演した日本・満州国合作映画として映画史に名を残す「私の鶯」...</summary>
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<email>kmatsu@mac.com</email>
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<dc:subject>movie</dc:subject>
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<![CDATA[<p>李香蘭(山口淑子)の主演した日本・満州国合作映画として映画史に名を残す「私の鶯」。実物は、奇妙な作品で面白かった。</p>

<p>日本人の娘が親と生き別れてロシア人の声楽家に育てられ、二十数年後に父親と再会する。おもな舞台はハルピン。登場人物のほとんどがロシア人で、ロシア人同士の台詞はロシア語。日本人が登場するときもロシア人との会話がほとんどなのでロシア語。すなわち、全編でロシア語台詞に日本語字幕。</p>

<p>満州国が五族共和をスローガンにしていたとはいえ、ロシア人は少数派だ。わざわざロシア人を主役にしてロシア語の映画を作る必然性はない。じっさいのところ、満州映画協会は、満州国の国策映画会社として中国語の映画を製作していた。もちろん、本作でも満州国の建国は高らかに正当化されてはいる。</p>

<p>「私の鶯」には、サモワールで茶を淹れるロシア人の暮らしが描かれ、ロシア語のさまざまな歌劇や歌唱、あるいはコサックダンスショーが次々に登場する。</p>

<p>ロシアのエキゾチシズムを強調する作りは、海外を舞台にした当時のハリウッド映画に通じるものがある。しかも、登場する俳優のほとんどが白人。あたかも、ハリウッド映画そのものを作ろうとしたかのようだ。そして、それは案外うまくいっている。</p>

<p>同じ1943年に東宝で製作された「阿片戦争」(マキノ正博監督)という作品もハリウッド映画さながらだった。題名通り阿片戦争を題材にし、登場人物は中国人と英国人で、日本人の俳優が日本語で演じている。グリフィスの「嵐の孤児」を翻案したというこの作品は、よくできたハリウッドスペクタクルだった。</p>

<p>「私の鶯」も「阿片戦争」も、太平洋戦争の敗色が濃くなりつつある時期に製作されている。映画の統制も厳しくなっている中で、国策に隠れてハリウッドの精神をもった映画を作ってしまったのだ。</p>

<p>李香蘭(山口淑子)の役柄は微妙だ。彼女は、中国語のできる日本人でありながら、日本語のできる中国人女優として日本でも中国でも認知されていた。自伝では、この時期から自分の存在の矛盾に苦しみ始めていたという。本作の役柄はロシア人に育てられた日本人。どんな思いで演じていたのだろうか。</p>

<p>李香蘭(山口淑子)は、サミュエル・フラーの「東京暗黒街・竹の家」という快作(怪作)はあるものの、映画史における名作には恵まれていない。同じ年に生まれ、同じく日本人離れした美貌に恵まれた原節子が、小津安二郎や成瀬巳喜男の名作に出演していることと好対照を成している。もちろん、出演作品よりも本人そのものが映画史、あるいは近代史にとどめられることは間違いないだろう。ちなみに、女優歴は20年だが、政治家(参議院議員)歴は18年に達した。</p>

<p>「私の鶯」で、育ての親が病の床にあってそこに実の父親が登場する場面では、二人の間で煩悶するところを卑俗に落とさず演じている。美貌・美声にくわえて演じる力もあったようだ。ただ、意志的なまなざしに加えて大物感もあり、名匠と言われる監督には素材として使いにくかったかもしれない。</p>

<p>なお、ハルピンにいたロシア人の大半は「白系ロシア人」。ロシア革命の政権(赤色)から逃れてきた人々であり、毛沢東率いる中国共産党が全国を制覇したときは、ハルピンから逃れ出たはずだ。「私の鶯」は、消えていったハルピンのロシア人やロシア文化を記録した。ただし、ロシア人と日本人しかいないように描かれるハルピンで、住民の大多数が中国人だったことは忘れてはならない。</p>]]>

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