2009年12月27日
「女優 岡田茉莉子」(岡田茉莉子著、文藝春秋、2009年)
岡田茉莉子の女優デビューは1951年。爾来、第一線で活動を続け、そのキャリアは日本の戦後映画史の大半をカバーしている。したがって、自伝はおのずから戦後映画史の趣を持つ。
岡田茉莉子はサイレント期の映画俳優、岡田時彦を父にもち、一歳で死別した。高校時代のある日、たまたま観た古いサイレント映画の題名を母に告げたとき、主演俳優が父だと知らされたという。映画女優として生きる運命を象徴する有名なエピソードである。また、事実、自分の知らないところで映画女優となるきっかけになっていたという。
もちろん、夭逝した俳優の子女が映画俳優としてデビューしても、みなが映画俳優として生き続けるわけではない。たとえば、岡田茉莉子と同じ時期に出演作が多かった桑野みゆきという女優。夭逝した桑野通子の娘である。二十代半ばで結婚して引退した。女優を生き続けるには、環境や当人の資質にくわえて、本人の意志が決定的なのだ。本書によれば、岡田茉莉子はアイドル女優だった頃から「女優 岡田茉莉子」となることに努めてきたという。
さらに、吉田喜重という映画監督を伴侶に得たことが女優として生きることを強く後押ししたことは間違いない。1960年代、岡田茉莉子と吉田喜重は、女優と監督というコンビで質の高い作品を多く生みだした。この時期、ほかにも小山明子・大島渚、岩下志麻・篠田正浩という女優・監督コンビが活躍したが、夫婦による「合作」に成功作が多い点では岡田茉莉子・吉田喜重コンビがベストだろう。
本書には、撮影所や映画監督の現場の雰囲気が描かれている。これは、映画史の証言として貴重だ。たとえば、プロデューサーシステムの東宝、監督中心の松竹の撮影所の違い。あるいは、成瀬巳喜男から小津安二郎に至る多くの巨匠・名匠たちの現場の雰囲気がなまなましく感じられる。
そして、もちろん吉田喜重監督のエピソードも多く綴られている。穏やかに見える吉田善重が、ときには落胆し、ときには熱く語り、ときには精神の不調を訴えるという逸話は、監督本人は望まないだろうが、吉田喜重の映画作品を観る上では興味深い。
岡田茉莉子・吉田善重コンビの最新作は2003年の「鏡の女たち」である。これ自体が、30年ぶりのコンビ作だった。彼らより年長の本家ヌーヴェルヴァーグの監督たちはまだ旺盛に映画を撮り続けている。彼らの新作を観てみたいものだ。
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2009年9月 7日
「アメリカ映画風雲録」(芝山幹郎著、朝日新聞出版)
アメリカ映画は二度面白い。一つは作品そのものが。もう一つはその製作過程が。
本書が伝える映画の製作過程は、凡百の映画以上にスリリングである。プロデューサーと監督の確執は言うに及ばず、俳優、脚本家、それに撮影監督までもが重要な役割を担う。それは筋書きのないドラマだ。しかも多くの場合はドタバタ喜劇である。我々が目にする完成された映画は、ドタバタ喜劇の末にたまたまできあがった代物なのだ。
著者が各章の見出しに掲げるのは、クリント・イーストウッド、セルジオ・レオーネ、ドン・シーゲル、ロバート・オルドリッチ、ベティ・デイヴィス、スタンリー・キューブリック、ジョージ・C・スコット、フランシス・フォード・コッポラ、サム・ペキンパー、クエンティン・タランティーノ。こうした濃厚な面々が関わった映画は、当然ながら製作過程を抜きにしてもとびきり面白い。
紹介されている映画の中では「許されざる者」(イーストウッド)、「続・夕陽のガンマン」(レオーネ)、「ワイルドバンチ」(ペキンパー)はDVDを購入したほどのお気に入りである。「続・夕陽のガンマン」はVHS版も持っている。本書を読んでから「何がジェーンに起こったか」(オルドリッチ)と「白い肌の異常な夜」(シーゲル)を観た。どちらも、心を揺さぶられる映画だった。またじつは、今までタランティーノは食わず嫌いだったが、どんどん食べてみよう。なんせ、タランティーノを紹介する章の見出しは「食べるタランティーノ」というので。
なお、本書にはときおり「(イーストウッドは)このころからフェイスリフトを始めたという説もある」といった下世話なネタが仕込まれている。これが、筋書きなき製作過程ドラマにパンチを効かせている。
本書を読んでから映画を観ても、映画を観てから本書を読んでも、二度あるいはそれ以上楽しめることは間違いない。
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2009年2月15日
「私の鶯」(島津保次郎監督、1943年・東宝+満州映画協会)
李香蘭(山口淑子)の主演した日本・満州国合作映画として映画史に名を残す「私の鶯」。実物は、奇妙な作品で面白かった。
日本人の娘が親と生き別れてロシア人の声楽家に育てられ、二十数年後に父親と再会する。おもな舞台はハルピン。登場人物のほとんどがロシア人で、ロシア人同士の台詞はロシア語。日本人が登場するときもロシア人との会話がほとんどなのでロシア語。すなわち、全編でロシア語台詞に日本語字幕。
満州国が五族共和をスローガンにしていたとはいえ、ロシア人は少数派だ。わざわざロシア人を主役にしてロシア語の映画を作る必然性はない。じっさいのところ、満州映画協会は、満州国の国策映画会社として中国語の映画を製作していた。もちろん、本作でも満州国の建国は高らかに正当化されてはいる。
「私の鶯」には、サモワールで茶を淹れるロシア人の暮らしが描かれ、ロシア語のさまざまな歌劇や歌唱、あるいはコサックダンスショーが次々に登場する。
ロシアのエキゾチシズムを強調する作りは、海外を舞台にした当時のハリウッド映画に通じるものがある。しかも、登場する俳優のほとんどが白人。あたかも、ハリウッド映画そのものを作ろうとしたかのようだ。そして、それは案外うまくいっている。
同じ1943年に東宝で製作された「阿片戦争」(マキノ正博監督)という作品もハリウッド映画さながらだった。題名通り阿片戦争を題材にし、登場人物は中国人と英国人で、日本人の俳優が日本語で演じている。グリフィスの「嵐の孤児」を翻案したというこの作品は、よくできたハリウッドスペクタクルだった。
「私の鶯」も「阿片戦争」も、太平洋戦争の敗色が濃くなりつつある時期に製作されている。映画の統制も厳しくなっている中で、国策に隠れてハリウッドの精神をもった映画を作ってしまったのだ。
李香蘭(山口淑子)の役柄は微妙だ。彼女は、中国語のできる日本人でありながら、日本語のできる中国人女優として日本でも中国でも認知されていた。自伝では、この時期から自分の存在の矛盾に苦しみ始めていたという。本作の役柄はロシア人に育てられた日本人。どんな思いで演じていたのだろうか。
李香蘭(山口淑子)は、サミュエル・フラーの「東京暗黒街・竹の家」という快作(怪作)はあるものの、映画史における名作には恵まれていない。同じ年に生まれ、同じく日本人離れした美貌に恵まれた原節子が、小津安二郎や成瀬巳喜男の名作に出演していることと好対照を成している。もちろん、出演作品よりも本人そのものが映画史、あるいは近代史にとどめられることは間違いないだろう。ちなみに、女優歴は20年だが、政治家(参議院議員)歴は18年に達した。
「私の鶯」で、育ての親が病の床にあってそこに実の父親が登場する場面では、二人の間で煩悶するところを卑俗に落とさず演じている。美貌・美声にくわえて演じる力もあったようだ。ただ、意志的なまなざしに加えて大物感もあり、名匠と言われる監督には素材として使いにくかったかもしれない。
なお、ハルピンにいたロシア人の大半は「白系ロシア人」。ロシア革命の政権(赤色)から逃れてきた人々であり、毛沢東率いる中国共産党が全国を制覇したときは、ハルピンから逃れ出たはずだ。「私の鶯」は、消えていったハルピンのロシア人やロシア文化を記録した。ただし、ロシア人と日本人しかいないように描かれるハルピンで、住民の大多数が中国人だったことは忘れてはならない。
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2008年1月13日
「ヴィーナス」(ロジャー・ミッシェル監督、2006年)

「ヴィーナス」は、老人が若い女に入れあげるお話である。
老人はピーター・オトゥール。これが素晴らしい。若い女を見るまなざしが、生と性への執着のきわみで絶品。それでいて威厳や気品、さらには老醜や孤独まで演じきる。アラビアのロレンスの青い目は老いてますます妖しい。
老人がヴィーナスと持ち上げる女(ジョディ・ウィッテカー)が、始終スナックやらジャンクフードをつまんでいる感じの悪い娘という設定が面白い。老人の業を強く感じさせる。
老人が若い女に入れあげるお話は多い。小説では「痴人の愛」、映画では「嘆きの天使」。こうした先例とちがって、本作は心温まるエンディングを迎える。
主役だけでなく主要な人物の大半が老人である。友人役のレスター・フィリップも、別居している妻を演じるヴァネッサ・レッドグレーブもとても印象的だ。
老人を主役にした映画には「八月の鯨」(1987年)があった。90歳を越えたリリアン・ギッシュと、80歳近いベティ・デイヴィス。この二人を主役として登場させたことのみが記憶される映画だった。
「ヴィーナス」は、撮影・編集といった映画の基本的な語り口がしっかりして好ましい。そして、ピーター・オトゥールの快演=怪演や老人たちの好演もあって佳作と呼べる作品となっている。
なお、教会のシーンで、墓碑に刻まれた名前は実在の俳優たちである。ボリス・カーロフ、ロバート・ショウ、ローレンス・ハーヴェイ。
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2007年10月27日
インランド・エンパイア(デビッド・リンチ)
「インランド・エンパイア Inland Empire」は、デビッド・リンチの処女作「イレーザー・ヘッド」と雰囲気が似ている。制約の少ないところで好きなように作る、自主映画の雰囲気である。
それを支えているのがディジタルビデオカメラによる撮影だという。
じつは、この事実を知らぬまま観始めてすぐに気がついた。ハイライトの白飛び、輪郭の滲み、斜め直線のギザギザ。暗い場面では目立たないが、いかにもビデオである。デビッド・リンチには、映像のクオリティより、制約の少ない撮影スタイルが重要なのだ。まあ、ハイライトの白飛びは、白日夢のような作風に相応しいとも言えるが。
本作では、映画中映画の撮影場面が何度も登場する。そこで使われている機材は聖なるプロ用フィルムカメラのパナビジョンだ。その場面を民生用に近いビデオカメラが撮影する。古い映画屋からすると、なんとも倒錯的な情景である。
そして、白日夢の中でただただ困惑するヒロインのローラ・ダーン。
デビッド・リンチの「ブルー・ベルベット」に「ワイルド・アット・ハート」、「ジュラシック・パーク」(1および3)、「パーフェクト・ワールド」(クリント・イーストウッド)と多くの有名作に登場していても、印象の薄さが印象に残るという人である。
本作では、中年に達した容貌をむき出しでクロースアップに供している。ただならぬ意気込みである。共同プロデューサーに名を連ねてもいる。
ヴィム・ベンダースの「パリ・テキサス」(1984年)では主役を張っていた(生涯で唯一?)ハリー・ディーン・スタントンは80歳を越えている。感慨深い。
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2007年10月21日
地球の静止する日
「地球の静止する日 (The Day the Earth Stood Still)」(1951年、アメリカ、ロバート・ワイズ監督)は、友好的な異星人来訪モノの先駆けとなったSF映画である。異星人が地球に平和と核兵器廃絶のメッセージを伝えるストーリーは、この時期に米ソ冷戦が本格化しつつあったことを背景にしている。
ディテールは突っ込みどころが満載だ。のっぺりした円盤形の宇宙船。同じくのっぺりしたロボット。この宇宙船とロボットは、1950年代SF映画のイコンである。たとえば、1970年代の音楽作品ではこのように引用されている。
着陸したのっぺり宇宙船を警戒する軍隊のすぐ後ろでは一般人が見物している。牧歌的でうれしい描写だ。
監督のロバート・ワイズは「ウエスト・サイド物語」や「サウンド・オブ・ミュージック」で名高い。1940年代にはオーソン・ウェルズの最初の二作「市民ケーン」と「偉大なるアンバーソン家の人々」の編集を手がけていた。映画史的にはこちらが重要だろう。
世評の高い「市民ケーン」に対して、「偉大なるアンバーソン家の人々」はその後のウェルズの人生を象徴するかのように呪われた作品である。製作者と折り合いが悪く、原形を留めないほどカットされているという。現在残されているバージョンは、前衛的とも言えるほどストーリー展開が唐突だ。この呪いの編集にロバート・ワイズが関わっていたのである。
「地球の静止する日」のDVD版にはサンフランシスコ講和条約を報じるニュースリールが収録されている。この条約は連合国による日本の占領状態を解除するものである。ちなみに、1945年から1951年まで日本製品の原産国表示は"MIOJ (Made in Occupied Japan)"、すなわち「占領下日本製」だった。この時期に日本の占領が解除されたのも、米ソ冷戦の激化を象徴する朝鮮戦争が始まったことが契機となっていたのである。
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2007年9月 1日
映画史上ベスト10+1とピーター・ボグダノヴィッチ
ニューヨーク近代美術館の映画担当キュレーターが選んだ映画史上ベスト10+1が雑誌「芸術新潮」2007年9月号に紹介されている。(この号は、ニューヨークの美術館を全冊特集で紹介している)- 有頂天時代(ジョージ・スティーブンス監督、1936年、アメリカ)
- 許されざる者(クリント・イーストウッド監督、1992年、アメリカ)
- 厚化粧したレディ(D・W・グリフィス監督、1912年、アメリカ)
- チャップリンの番頭(チャールズ・チャップリン監督、1916年、アメリカ)
- 荒武者キートン(バスター・キートン監督、1923年、アメリカ)
- ヒズ・ガール・フライデー(ハワード・ホークス監督、1940年、アメリカ)
- わが谷は緑なりき(ジョン・フォード監督、1941年、アメリカ)
- 東京物語(小津安二郎監督、1953年、日本)
- 大地のうた(サタジット・レイ監督、1955年、インド)
- 自由への旅立ち(ジュリー・ダッシュ監督、1991年、アメリカ)
- ストレイト・ストーリー(デヴィッド・リンチ監督、1999年、アメリカ)
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2007年2月19日
ミスティック・リバー
クリント・イーストウッドの「ミスティック・リバー」(2003年)DVD版には、出演者ティム・ロビンスとケビン・ベーコンによる解説のサウンドトラックが収録されている。映画全体で二人がコメントするという趣向である。
一度本編を見た後、このサウンドトラックで再生を始めたら、ついつい最後まで見通してしまった。一粒で二度おいしいというところか。
まず、二人ともじつに言うことがマトモである。まっとうな知性が感じられて好ましい。
そして、二人が繰り返し言及するのは、クリント・イーストウッドの「ワンテイク主義」である。通常の監督なら同じショット(カット)を複数回撮影する。出来が気に入らないこともあれば、いくつか演技のバリエーションを残して後で判断したいという場合もある。ところが、イーストウッドはほとんどのショットを一回しか撮らないというのだ。
これはスタッフや俳優と監督の間に信頼感がなければ成立しない。とくに俳優にとっては高いレベルのプロフェッショナリズムが要求される。
だが、このワンテイク主義は、スタッフや俳優に別の効用をもたらす。
さいきんの映画撮影は1日に12〜14時間続けるという。ところが、イーストウッドの場合は6時間かっきりだ。映画撮影中も、人間的な生活を続けられるというのだ。
ワンテイク主義には「硫黄島からの手紙」に出演した日本人俳優たちも言及していた。
イーストウッド映画の特徴は、語り口の慎ましさや、簡潔さである。それは、撮影自体の簡潔さにも裏付けられているのである。
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上海特急
「上海特急」(1932年)は、マルレーネ・ディートリッヒが美しく撮られた映画である。彼女を美しく撮るためだけに作られた作品だといってもいい。
「上海特急」は、「嘆きの天使」に始まるディートリッヒとジョセフ・フォン・スタンバーグ監督との一連のコンビ作品の掉尾を飾っている。二作の間には「モロッコ」や「間諜X27」がある。
本作、じつは映画としての盛り上がりには欠け、スタイリッシュな雰囲気ばかりが印象に残る。そして、このスタイリッシュな雰囲気はマルレーネ・ディートリッヒを美しく見せるための舞台装置としてのみ機能する。物語が展開する動乱期の中国も(ちょうど満州事変が勃発した直後!)、エキゾチックな書き割りにすぎない。ハリウッド映画の描く外国はいつもそうなのだけど。
とはいえ、ウォーナー・オーランドが演じる反乱軍(軍閥?)のボスの重厚なたたずまいは素晴らしい。悪役の憎々しさのきわみである。スウェーデン出身のウォーナー・オーランドは「チャーリー・チャン」シリーズの中国人役で有名だった。
「上海特急」に先立つ1920年代の無声映画(サイレント)時代、ハリウッド映画では東洋人が主役級を演じることもあった。早川雪舟や上山草人がその例である。ところが、有声映画(トーキー)時代の到来とともに、西欧人が東洋人を演じるようになった。たとえば、ペーター・ローレという俳優には「ミスター・モト」シリーズがある。(ペーター・ローレは、フリッツ・ラング監督のドイツ時代の作品の不気味さが強烈)
「上海特急」で謎めいた中国女を演じているアンナ・メイ・ウォンは、1920年代は主役級だったが、トーキー以降は不遇のまま一生を終えた。早川雪舟や上山草人は日本に戻って活動の場を得たが、米国生まれの彼女に戻るところはなかったのである。
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恐竜100万年
「恐竜100万年」(1966年)を初めて観たのは小学校4年のときだった。テレビの映画番組である。そのときは恐竜が暴れ回る特撮映像に釘付けだった。一緒に観ていた父親は恐竜よりラクウェル・ウェルチに釘付けだったかも知れない。そのときの父親より年を食ってしまった自分がそうだったので。レイ・ハリーハウゼンによる特撮映像は洗練されたCGに慣れた目から見ると素朴で、かえって新鮮である。
この映画、ディテールに凝っている。まず、通常の言語によるセリフがない。字幕や吹き替えが必要なのは冒頭のナレーションだけだ。
そして、二つの原始人部族を描き分けているのが目につく。二つの部族は黒髪と金髪に分かれていて、粗暴で狩猟と諍いに明け暮れる黒髪部族、穏和で文化的な金髪部族という描き分けだ。考古学的な知見も多少は盛り込まれている。洞窟の壁画、埋葬儀礼、単純な農耕、皮なめし、工芸品作り。
この凝り方はどうみてもイギリス人の仕業だ。それも道理で、製作は恐怖映画を専門にしていたイギリスのハマーフィルム。スタッフもほとんどイギリス人らしい。人跡の見えない殺伐とした荒野は冬のカナリア諸島でロケしたとのこと。
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2006年12月30日
硫黄島二部作
クリント・イーストウッドの硫黄島二部作を観た。
「父親たちの星条旗」の印象は、前作の「ミリオンダラー・ベイビー」と似ていた。溺れそうになる際で抑制される感傷。全篇ジェットコースターのような視覚的・音響的アトラクションが主流の米国映画の中では奇跡のような美しさと言うべきだろう。だが、その禁欲的な抑制に物足りなさを感じもする。観るものは贅沢である。
「硫黄島からの手紙」は、敗者を描くせいか、やや感傷が勝っている。もちろん、ことさらに感傷を煽ることはない。抑制された表現から溢れ出る強い悲しさが印象的なのである。やられました。
渡辺謙、二宮和也、伊原剛志らが、いい顔に撮られている。これは特筆すべき。
それにしても、異国の人が作ったことがまったく感じられない。小さな瑕疵はいくつかあるけれど、あえて言挙げするほどではない。そういえば、世界のクロサワ(明)がソ連で撮った「デルス・ウザーラ」はどんな出来だったのでしょう。
ただ、と、気になるのは二部作に共通する女の印象。70年代から80年代にかけて公私にわたるヒロインがソンドラ・ロックだったのだから、仕方ないか。
http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/
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2006年2月23日
邂逅(めぐりあい)
1939年製のハリウッド・メロドラマである。監督はレオ・マッケリー、出演はシャルル・ボワイエとアイリーン・ダン。
ニューヨークに向かう豪華客船の中で恋に落ちた画家と歌手が、エンパイアステートビルの展望台で半年後に再会を約す。だが、当日、女は交通事故に遭遇し、再会は果たせない。そして、月日は経ち、偶然のきっかけで再会を果たす。
などというストーリーはきわめてありきたりである。この作品は何度もリメークされており、定番の出し物であると同時に、すれ違いものメロドラマの原型をなしている。だが、演出とセリフの繊細さがこの作品を忘れがたいものにしている。
印象的なのは、途中の寄港地で男の祖母の家に寄るシーン。このころのハリウッド映画には、すばらしい老人役が何人もいて、映画に深みを与えている。
そして、なんと言ってもラスト。セリフは多いが、過去のいきさつの核心に触れることはぎりぎりまで回避される。抑制されたセリフ回しの背後で高まっていく二人の感情。こうした演出を見ると、こんにちの大半のテレビドラマの即物的な演出が下品に見えてならない。
なお、監督のレオ・マッケリーは、マルクス兄弟映画の最高傑作「我が輩はカモである」の演出も手がけた才人である。「我が輩はカモである」の演出のシャープさは、その後のサム・ウッドなどが監督したマルクス兄弟映画には見られない。
マルクス兄弟というとよく使うネタ。チコ、ハーポ、グルーチョの3兄弟には、もう一人年の離れた兄貴がいた。その名はカール・マルクス、代表作は「資本論」。(ウソ)
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2005年12月12日
ALWAYS 三丁目の夕日
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の上映が延長されたという。
http://www.always3.jp/
11月の公開前後にCFがテレビで頻繁に放映されていたが、建造途中の東京タワーというショッキングなビジュアルは、モスラに寄り添われた東京タワーの姿に匹敵するインパクトだった。
というわけで、この作品の見所は、特撮で再現された昭和30年代の東京の風景に尽きる。
無闇にすっきりしている上野駅前、服部時計店が高くそびえている銀座。建造中の東京タワーが背景に見える京浜国道とおぼしき大通りには、行き交う自動車も少ない。あたかも当時の映画のロケシーンを見るようである。
ただし、映画としてはてんでなっていない。
とつぜん見ず知らずの子供の世話をする仕儀になったというシチュエーションなら、山中貞雄の「丹下左膳余話・百万両の壺」だとか、ジョン・カサベテスの「グロリア」という名作が目白押しである。同じ土俵に並べるだけでも、巨匠たちに対して礼を失する。
だが、と再び本作を持ち上げる。捏造された昭和三十年代の風景が強烈な魅力を放っていることはまちがいない。
映画は、「メトロポリス」の昔から魅力的な未来都市を描き続けてきた。こうした映画が描いた未来が到来したはずの時期に我々は生きている。我々の眼に映じる現在の都市は、過去の映画の未来都市ほどに魅力的だろうか。
あるいは、我々は数十年後の未来の姿を、数十年前の映画のように魅力的に描くことはできるだろうか。
そのかわり、我々は数十年前の過去を描き、それに心惹かれている。
投稿者 kmatsu : 22:44 | コメント (0) | トラックバック
2003年10月11日
怒りの日
ドライヤーの「怒りの日」を観た。
本作は初見。「奇跡」や「ゲアトルーズ」に連なる重要な作品である。見事な映画っぷりに感動するばかり。
ドライヤーの作品を観たのは二十年以上前だが、観た場所を覚えている。「裁かるるジャンヌ」と「吸血鬼」は渋谷のユーロスペース、「奇跡」はアテネフランセ文化センター、「ゲアトルーズ」は法政大学(シアターゼロ)だった
投稿者 kmatsu : 22:41 | コメント (0) | トラックバック
吸血鬼
カール・ドライヤーの「吸血鬼」を観た。
いろいろな人が熱く語っているのでそれに付言することはあまりないけど、気づいたことをいくつか。
無声映画の語り口。セリフが少なく、物語は無声映画と同様にスポークンタイトルだけで提示されている。会話は物語の叙述にほとんど寄与していない。音楽や効果音と同レベルの音声として不気味な雰囲気を盛り上げることに専念している。
無声映画といえば、この作品はトーキー(音声付き映画)であるにもかかわらず、人間が動く場面の大半は無声映画のコマ数で撮影されているようだ。無声映画時代は毎秒18コマだったが、トーキーでは音質を改善するため毎秒24コマに引き上げられた。そのため、この映画の人間の動きはコマ落としのように加速されている。これがまた白日夢の効果を高めている。
長身で神経質そうな顔をした主人公は嶋田久作の線を細くした感じである。吸血鬼の手先の医者は常田富士男だな。
「裁かるるジャンヌ」では火刑に処せられたジャンヌ・ダルクの肉体が崩れるところまで描写していたが、本作でも医者が粉挽き小屋で粉に埋もれて絶命するところまで描いている。このあたりは趣味が悪くて共感できる。
本作は独・仏・英の三カ国版が製作された。セリフのあるシーンは各言語で三回撮影したそうだ。これは当時の欧州映画では一般的だったとか。今回の上映プリントはドイツ語版で、最後に検閲で修正された2つのシーンのオリジナルがフランス語版から収録されている。ちなみに、修正されたのは吸血鬼に杭を打ち込むシーンと、医者が粉に埋もれるところである。
20年前に観たプリントはフランス語版だったが、最後の場面で画面と音が15秒くらいずれて、しかも音声が英語になるという、へんてこな代物だった。画質もひどかった。今回の上映プリントは、製作直後の状態には及ばないだろうが、ずっとましだった。
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2003年10月 7日
カール・ドライヤー
カール・テオ・ドライヤーは「聖なる映画作家」と称されるデンマークの映画監督である。日本で正式に公開されたのは「奇跡」という作品だけだが、「裁かるるジャンヌ」、「吸血鬼」、「ゲアトルード」などはシネマテークの定番であった。
この月から「ドライヤー映画祭」が開催され、朝日ホール、フィルムセンター、ユーロスペースで全作品が上映される。さすがに全作品に通う情熱はないが、未見の「怒りの日」や、悲惨なプリントでしか観たことのない「吸血鬼」と「ゲアトルード」は観ておこうと思う。朝日ホールの時間指定の前売り券も購入した。
ところで、この上映会を紹介する新聞記事の見出しを見た家人のひとこと。「カール・ドライヤーって髪をカールさせるドライヤー?」
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2003年6月18日
グロリア
ジョン・カサベテスが監督したというよりは、ジーナ・ローランズがひたすらかっこいいことで記憶されている作品である。製作は1980年。今回ビデオで観たのが初見。カサベテス/ローランズの作品は「オープニング・ナイト」や「ラブ・ストリームズ」を観ているのに、なぜか「グロリア」だけご縁がなかった。
ジーナ・ローランズは本当にかっこいい。拳銃を構えた立ち回りが堂に入っている。
また、昔一緒に暮らした男に会いに行くときに髪を直す仕草や、その男に再開する場面での振る舞いにはぞくぞくする。連れ合いを魅力的に撮るといえば、ジャック・ドワイヨン/ジェーン・バーキンのコンビというのもあったな。ドワイヨン映画でのジェーン・バーキンは可愛かった。40過ぎなのに。
なお、唐突に子供を引き受ける中年女というシチュエーションは、山中貞雄の「丹下左膳余話・百万両の壺」を想起させる。子供嫌いが徐々に馴染んでいく過程は、市丸姐御もなかなかよかった。
