2006年11月 1日
東京 - 昭和の記憶 -
「東京 - 昭和の記憶 -」は、1970〜80年代の東京の風景とその現在の様子を見せるサイトである。モノクロの過去の風景にマウスポインタを置くと、現在の様子がカラーで現れる。
1980年代にはよく東京の街を歩き回った。自分の記憶とクロスするのは、「神田駿河台~猿楽町 女坂」、「六本木ヒルズになった町」、「神田淡路町~小川町」あたりである。
今さらながら、東京の姿がこの20〜30年の間に劇的に変わってしまったことが痛感される。とりわけ、「六本木ヒルズになった町」の変化はすさまじい。林立する高層ビルや華やかなショッピングモールに、かつて高台の下の窪地に広がっていた生活の場の痕跡はまったく見られない。古いもの好きとしては痛ましさを覚えるほどである。
もっとも、東京の風景が激しく変わるのは今に始まったことではない。成島柳北や永井荷風は、数十年の時を隔てて、江戸の情緒が失われゆくことを嘆いていた。1931年に両国で生を享けたわたしの父親も、幼少期の風景は思い出の中にしか存在しないと言っていた。
変化を嘆き古きをよろこぶのは、自分が老人の域に入っている証しにほかならない。若者は夢にあふれ、老人は思い出にあふれるという。自分に夢があふれていたかどうか定かではないが、思い出をたくさん抱えてしまったことは間違いないだろう。
そういえば、大学の卒論の取材で訪問した満州映画協会の関係者のお住まいは、昔のテレビ朝日の裏あたりにあった。「甘粕先生」(満映理事長の甘粕正彦)の思い出話を聞いたときは、歴史の文脈の中で語られる人物と接していた人が目の前にいることが不思議に思えたものである。20数年を経て、お住まいの回りは一変した。お元気でお過ごしだろうか。
投稿者 kmatsu : 20:39 | コメント (0) | トラックバック
2006年10月 1日
PukiWikiのテスト
BLOGは、日々の記録を残すのに適している。Web-logという名前通りの日記システムである。文章は日記でしか登録できず、また、日記を整理する仕組みは時系列とラベルしかない。まとまった文章をウェブに置くには別の仕組みも欲しい。
というわけで、PukiWikiを導入してみた。Wikiクローンのなかでも導入の敷居が低いという。
ほんらい、Wikiは、Wikipediaのように複数の人びとが共同で文章を編集する仕組みだが、個人用途でも十分役立つ。文書の登録、書式指定、ハイパーリンクの設定などなどが簡単である。独特の書式指定ルールを使うことと、そもそもWYSIWYGでないことは、人によっては抵抗を覚えるだろう。
PukiWikiのスタイルをBlogに合わせるのは当面あきらめた。CSSをいじるだけではダメだった。MovableTypeとPukiWikiは、divブロックの使い方がだいぶ違っている。腰を据えて、PukiWikiのSkinのプログラムを直さなければならない。そこまでやる必要もなかろうということで、PukiWikiのロゴだけBlogと同じ色にしてみた。
本当は、BLOGとWikiの双方が共通のプラットフォームで動くのが望ましい。XOOPSやZopeなどのCMS(Contents Management System)を使うのがよいのだろう。これまた、そこまでやる必要はなかろうと、手は出さない。なんせ、載せるのも駄文なもので。
P.S.(2006/10/10)
その後、スタイルの統合を果たす。CSSの仕組みが実感できた。
投稿者 kmatsu : 00:24 | コメント (0) | トラックバック
2006年2月26日
荘厳
遠くに転居したにもかかわらず、お花をいくつか頂戴した。

荘厳は呉音でショウゴンとよむ。国語辞典には「浄土などの仏国土、仏·菩薩などの徳を示す美しい姿や飾り、また、仏堂·仏像などを美しく飾ること。また、その飾り。」とある。息子に仏性が備わっていたかどうかは分からないが、死者は皆「ホトケ」と言われるのだから、花で飾られてもいいだろう。いや、飾ってやりたい。
2月26日はいっぱんにはクーデター事件の決行日として記憶されている。3年前から、我が家では特別な日として記憶されている。
投稿者 kmatsu : 22:44
2006年2月19日
新潟歌舞伎みなと座公演
りゅーとぴあ劇場(新潟市民芸術文化会館)で行われた新潟歌舞伎鑑賞会のイベントの演目は、前半が市民劇団「新潟みなと座」による「弁慶上使」、後半が大歌舞伎(松竹)の若手俳優による「与話情浮名横櫛〜源氏店」だった。
前半はアマチュア、後半はプロの芝居である。もちろん、比較するのは酷だが、やはりプロは段違いに上手かった。そして、芝居そのものが滅法面白かった。
じつは、歌舞伎を劇場で観るのは高校のとき以来である。先月の「フィガロの結婚」はオペラ初体験だったが、今回は実質的な歌舞伎初体験。長く継承されている芸能や文化は、伝統というだけで無理に継承されているのではなく、面白いから継承されているということが分かった。そして、これが分かるようになるには年齢を重ねる必要があるようだ。
投稿者 kmatsu : 21:37 | コメント (0) | トラックバック
2006年2月18日
風呂釜交換
風呂釜が壊れた。何度操作しても火が点かない。
いま住んでいるところは築40年以上を経た集合住宅である。鉄筋コンクリート3階建て、階段部分が2つあって、階段を挟んで2戸が向かい合い、1つの階には4戸が収まっている。なつかしい作りだ。昭和30〜40年頃に企業や役所が用意した家族寮はだいたいこんな作りである。企業の寮は姿を消しつつあるが、役所の寮はまだまだ現役で活躍している。
この集合住宅、見かけだけでなく中身も昭和30年代である。フローリングや水回りは何度か手が入っているようだが、基本的な間取りや設備は変っていない。和室は3つあり、押し入れの奥行きは深い。もちろん、ガラス窓の内側には障子がある。リビングは板張りで、キッチンのシンク(流し)は小さく、調理台は狭い。これでも、建てられた頃は新しい暮らしぶりを実現するハードウェアだったのだろう。給与生活者の核家族をターゲットとした、いわゆる公団住宅の暮らしぶり。
いちばん古さを感じさせるのは風呂場である。
タイル張りの床に、ステンレス製の風呂桶と風呂釜がでんと置いてある。風呂桶は排水管に接続されておらず、栓を抜くと水は床にどっと流れる。40年前に住んでいた家の風呂場はたしかにこんな案配だった。風呂桶は木製で、床には木のスノコがあり、タライや椅子も木製だった。父親に頭を洗ってもらっている間ぎゅっと目を閉じていたことや、熱い湯に10数えるまで浸かっていたこと、そして父親が頭を洗うときの手荒な感触まで風呂場の記憶とともによみがえってくる。
結局、風呂釜は補修部品がなくて修理できず、新品に交換した。もちろん、風呂場の雰囲気は変わらない。
この集合住宅もそろそろ廃止が計画されているとも聞く。例によって古いものに愛着が湧くが、実際に生活してみると、40年の間にここで生活した人たちのことを想像せずにはいられない。最初のころの世帯主はとうに現役を引退している。その子供たちは、ちょうど自分そのものだ。核家族の先駆者たちは、どのように老年と中年を過ごしているのだろうか。
投稿者 kmatsu : 14:15 | コメント (0) | トラックバック
2006年2月11日
三川温泉スキー場
三川温泉スキー場は、新潟中央I.C.から磐越道に乗って数十分で到着する。自宅からゲレンデまで1時間かからない。この事実を知ったら、今まで出かけるのが億劫で縁遠かったスキーが俄然身近に思えてきた。さっそく、ウェア類を購入し、スキー場に繰り出した。
最後にスキーに行ったのはじつに24年前。しかも、それが唯一の経験である。ただでさえ自分の運動能力は低い。そこで、スキー場のスクールでプライベートレッスンを半日受けてみた。インストラクターは、還暦を過ぎて地元に帰ってきた人の良いおじさんで、超がつくほどの初心者に教えるのも手慣れている。半日たつころには、緩い斜面を自力で滑り降りるまでにはなった。
三川温泉スキー場は近く、物価は安く、何より人が少なくてよろよろ滑っていても安心である。食堂もじつに庶民的だ。カツ重はこんな感じでうまい。卵とじでなくソースカツをご飯の上に乗せるカツ丼やカツ重は、新潟では多い。
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そして、スキーそのものも楽しめた。いまさら競うわけでもなくヘタなりに楽しんでいこう。まずはウェアだけでなく、板とクツも購入してしまおうかと思い悩んでいる。
投稿者 kmatsu : 20:50 | コメント (0) | トラックバック
2006年1月31日
湿度90パーセント
窓際に置いてある湿度計が、湿度90パーセントを示している。
かつて関東で暮らしているとき、梅雨の真っ盛りでも湿度70パーセント以上の値を見たことはなかった。
もちろん、窓ガラスは結露でびしゃびしゃである。北側の壁には、カビが増えている。明らかに、カビくさい。先日の緑川酒造の麹カビの心地よい香りとは違って、体に悪そうである。
投稿者 kmatsu : 22:18 | コメント (0) | トラックバック
2006年1月29日
緑川酒造を見学
小出の緑川酒造を見学した。
小出は豪雪地帯である。幸運にも、本日は晴天に恵まれた。冬に一日中晴れわたるのはきわめて珍しいそうだ。
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醸造所では、麹室にまで入れてくださった。写真は、大吟醸用の麹である。
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発酵の途中の醪(もろみ)や、絞りたての原酒の味をみた。出荷する製品は、酒造米、酒母(酵母)、麹など原材料や発酵条件を変えて作った原酒をブレンドして作る。出荷製品の味は、社長を含め三人で決定するとのことだ。なお、緑川酒造では、原酒は一年間低音貯蔵庫で寝かせてきめ細で柔らかな酒にしている。
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酒造所見学の後は、小出の料理屋で宴会となった。「雪国の保存食=濃厚な味」という先入観とは裏腹の繊細な味わいの料理は、緑川との相性も素晴らしかった。土地の料理には土地の酒が合うという教えを実感した。
投稿者 kmatsu : 22:35 | コメント (0) | トラックバック
2006年1月22日
ちょっとお買い物
日曜日の朝、思い立って軽井沢のアウトレットに出かけた。
家人が、安くても安っぽくないカジュアル衣料品がほしいという。天気は快晴で、気分は爽快。軽い気持ちで出発した。
新潟→北陸道→長岡→上越道→高崎→上信越道→軽井沢の行程は290キロ弱だった。途中、湯沢などの豪雪地帯を通過したが、天気はよく、道路はすっかり除雪されていたので、快調に走行できた。

復路は、軽井沢→上信越道→長野→上越→北陸道→長岡→新潟という経路を辿った。行程は290数キロで、往路と大差なし。高速料金は6000円でまったく同一だった。豪雪地帯では吹雪に遭遇し、北陸道に入ってからは積雪した路面で強烈な横風を食らって進路を乱され、冷や冷やした。また、途中数回、除雪車に先導されて徐行を余儀なくされた区間があった。
往路・復路の総行程は600キロ弱である。ちょっとした買い物のつもりが、大移動となった。高速料金とガソリン代を、アウトレットのディスカウント分で取り返したは思えないが、面白い小旅行だった。
投稿者 kmatsu : 23:48 | コメント (0) | トラックバック
2006年1月15日
プラハ国立劇場「フィガロの結婚」
1月12日にプラハ国立劇場の「フィガロの結婚」を観た。
上演後、居酒屋のお座敷で飲み会が開催され、伯爵役のロマン・ヤナールさん、スザンナ役のマルティナ・ザドロさん、ケルビーノ役のカロリーナ・ベルコヴァーさんが参加した。出演者も、迎える日本の人々も、皆、気さくな人たちで、思い出に残る楽しい宴会となった。
席上、日本の歌を披露するということで「佐渡おけさ」を合唱し、さらに富山県出身者がお国の民謡を独唱で披露すると、三人の出演者たちがそれぞれ出身地の歌を披露してくれた。見事なベルカントの歌声が居酒屋のお座敷に朗々と響きわたった。
ところが、プラハ国立劇場というのにチェコの人は一人もおらず、それぞれ、スロバキア、ユーゴスラビア、クロアチアの出身だという。
ふと、「バルカン半島」という言葉が脳裏をよぎった。そこが戦場だったのは、ほんの10数年前のことである。社会主義国だったのも、20年も前のことではない。
追加(2006/1/17)
宴会の全員写真が掲載されています。
投稿者 kmatsu : 21:03 | コメント (0) | トラックバック
2006年1月 5日
イヨボヤ会館
村上市のイヨボヤ会館は日本で最初の鮭の博物館である。
村上といえば、塩をすり込んでまるごと晒し干しした村上鮭で有名だ。村上ではたんに漁獲するだけでなく、江戸時代から増殖を心がけてきたという。イヨボヤ会館は、鮭が産卵のために遡行する三面川(みおもてがわ)の近くに建てられている。
館内の展示では地下の「三面川鮭観察自然館」が目を引く。三面川の分流をガラス窓からのぞき込み、遡行する鮭を直接観察できるようになっている。秋には産卵シーンにめぐり会うこともあるという。あいにく、この季節は産卵はおろか、泳ぐ姿も見あたらず、産卵を終えて絶命した鮭の骸が川底に沈んでいるばかりだった。自然の厳粛さを示してはいる。
命を終えた親から産み出された新しい命は、養殖のコーナーで見ることができる。
中で徐々に魚の姿となりつつある卵。目が見えている。それにしても、石狩鍋のイクラのような色だ。
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自然の厳粛さを感じた後は、食欲である。産卵された卵の内、成魚にまでたどりつくのは1000に3つだという。残りの997の命の内、どれだけが人間の胃袋に消えていくのだろうか。因業なものである。せめては、命の重さを感じながら、村上鮭やイクラを賞味しよう。
投稿者 kmatsu : 22:00 | コメント (0) | トラックバック
2006年1月 3日
親鸞聖人立像
「越後の里 親鸞聖人立像」という身の丈40メートルの巨大仏は、国道113号の傍らに無造作に立っている。このあたりは海岸に近いが、松林に阻まれて海は見えず、沿道には建物もほとんどない。荒涼とした風景に巨大仏が唐突に現れる。
宮田珠己の「晴れた日は巨大仏を見に」(1994年、白水社)という好著でも紹介されていた。
像内は頭部まで登ることができる。背面に明かり取りの窓が設けられているものの、一部に暗闇の箇所があり、洞窟探検の気分を味わえる。聖人の目には穴が開けられていて、鳥の侵入を防ぐためか、ステンレスのザルがはめ込まれている。
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この巨大仏には大規模な温泉施設が併設されている。今回は入浴しなかったが、「泉質はきわめて個性的」と記す報告が多い。海が近く、油井が近く(新潟県は日本最大の採油量を誇る)、ヨード採取地が近い。成分は推して知るべしである。巨大仏にも温泉施設にも、訪れる客や関係者の姿が見えず、宗教的な情熱よりも、投げやりな雰囲気が感じられる。
前述の「晴れた日は巨大仏を見に」によると、巨大仏は昭和の終わりから平成の始めに建造されたものが多いという。企業だけでなく、宗教法人も投資意欲が旺盛だったのだ。
投稿者 kmatsu : 11:40 | コメント (0) | トラックバック
2006年1月 2日
弥彦神社
元旦、初詣は、弥彦山の弥彦神社に詣でてみた。千年以上の歴史を持つ、由緒ただしいお社のようだ。お隣は競輪場である。神事と博奕との深い結びつきが現代でも残っていることが興味深い。
一見するとただの豪快な焚き火だが、よく見ると、スルメイカを竹の先につけて、それを炙っている。
スルメイカは竹とセットで販売されている。綿菓子やべっこう飴などの出店に並んでいる。
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スルメイカが焼き上がると、竹は焚き火の中に投げ込まれる。ときおり、それが爆ぜて、豪快な爆裂音を響かせている。
神事ではイカやアワビなどの生物(なまもの)を神官が奉じるが、一般の参詣者がスルメイカを焚き火で炙って食らうのは初めて見た。
投稿者 kmatsu : 18:14 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月28日
歴史展示
出雲崎の「天領出雲崎 時代館」は、出雲崎が江戸時代に港町として栄えていた頃の姿を伝える博物館である。
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御奉行船と、往事の街並みを再現する展示が見物である。
一方、長岡の「新潟県立歴史博物館」は、石器時代から近代に至るまでの新潟県の歴史に関する事物を展示している。
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二階まで雪に埋もれた商店街と、縄文時代の暮らしぶりが大規模に再現されている。
原寸大の人形を配置した再現展示は、ディズニーランドのカリブの海賊だとか、いまはなきドリームランドの大海賊といったアトラクション展示と同じノリである。あるいは、街道沿いの秘宝館や、観光地の展示館に比すこともできよう。どことなしか気恥ずかしさが湧いてくる、間の抜けた雰囲気がたまらない。歴史的事実を再現しようとする、公共博物館ならではのまじめさも伝わってこないではないが。
いずれの博物館も、客はまばらである。バブル崩壊後の盛大な公共投資の遺物とも言えるが、末永く続けてほしいものである。
投稿者 kmatsu : 20:15 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月17日
「カラシニコフ」の語り部
ルポルタージュ「カラシニコフ」の筆者である松本仁一氏の講演を聞いた。
お話の内容は書籍と同様だが、本人の肉声で語られると説得力がいや増す。
国家の基本的な役割は、人々が安全に暮らすことを保証する治安と、子供の将来を拓く教育である。だが、失敗国家では治安を司る軍隊と警察にも、教育を担う教員にも給料が支払われず、治安も教育もまったく機能していない。資源による外貨収入や海外からの援助は一部の人々だけを潤し、ほんとうに必要とする多数の人々には届かない。
今後も、事態は悪化する見通しである。
冷戦が終了し、米国とソ連の対立が解消したため、失敗国家への関心は低下し、かつて失敗国家を維持した莫大な援助は消滅している。豊かな国々にとって、資源のない失敗国家は興味関心の対象ではない。
だが、失敗国家の荒廃は、豊かな国々も無関係ではいられない。失敗国家の人々は仕事も希望もない自国を見捨てて豊かな国々に流入し、社会不安を増大させる。のみならず、荒廃国家には豊かな国々への怨嗟があふれ、そこに痛撃を与えようとするテロリストの温床となる。
サミュエル・ハンチントンは、キリスト教とイスラム教の二大文明の衝突の必然を語ったが、衝突するのは二大文明ではなく、富者と貧者である。
失敗国家の人々を援助するには、政府間援助ではなくNGOがよいという。NGOの適格性の審査は難しいが、政府を援助してもほんとうに必要とする人々には届かない。
こうした重いお話が中心だったが、松本氏ご本人は、著作にあふれる正義感だけでなくウィットを兼ね備えた立派な紳士だった。別の著作「アフリカを食べる」の内容を紹介するときの楽しそうなご様子が微笑ましかった。
投稿者 kmatsu : 22:48 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月13日
酒蔵訪問
新潟県南魚沼市塩沢の青木酒造という酒蔵を訪れた。「鶴齢」という銘柄である。
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御年、三十三歳という御当主が酒造りの現場を案内してくださった。
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身の丈六尺以上の偉丈夫で、上野の西郷さんを思わせる風貌である。この風貌に違わず酒造りへの思いは熱い。何でも、母上の実家を継ぐことになったのは大学生のときで、そのとき、劇画「夏子の酒」によって酒造りの基本を学んだという。
米所新潟の、しかも魚沼郡といえばコシヒカリで有名だが、酒米は兵庫県の山田錦を使っている。米所新潟の酒は、そこで産する米で作るものだと信じ込んでいたので、この話は新鮮だった。
新潟の酒は端麗辛口という言葉で紹介されることが多い。だが、「鶴齢」は端麗旨口を標榜している。雪国の料理は味付けの濃い保存食が中心であり、それに相応しい酒は濃い味だそうだ。発酵中のもろみ(「あわ」という)を煮汁に使う豪華な鍋物をいただきながら、端麗旨口を堪能した。
投稿者 kmatsu : 22:03 | コメント (0) | トラックバック
2004年2月 1日
国土画像情報(カラー空中写真)
飛行時間が短い国内航空線では、地上の風景を見るために窓側に座ることにしている。とくに、冬、空気が澄んでいるときは楽しい。ある時は三浦半島を一望できたし、またある時は居住地の周辺を確認することができた。
空から見る地上の風景は、起伏が見えないだけでなく、人間生活の生々しさが消えてしまう。都市の生成と発展をシミュレーションするSimCityというゲームがあったが、その画面を思い出す。個々の人間の営みは捨象され、都市全体が一つの生命体のように見える。この視点は、為政者というよりは神に近い。地上から数万キロメートル離れた宇宙空間ほどではないが、数キロ離れるだけで、人類を見下ろす神の視点に近づくのだろう。
国土交通省が試験的に「国土画像情報(カラー空中写真)」というウェブサイトを開設している。
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WF_AirTop.cgi?DT=n&IT=p
400dpiのデータの分解能は1メートル以上あるだろう。民家の形状も識別できる。また、収録されているデータは、1970年代から1980年代に撮影されたものである。時間を経てフィルムが褪色したせいか、それとも空気が澄んだ冬に撮影したせいか、あるいは大気のフィルターを介しているせいか、収録された地上の風景は寒々としている。
20年から30年といえば、ちょうど人間が一世代交代する期間である。そして、今にいたる30年間は、都市近郊の風景が徹底的に変わった時期とも一致する。古い空中からの眺めを見て懐旧の念に駆られるが、その頃の地上の風景を思い出そうとしても、どうしてもディテールが思い出せない。
投稿者 kmatsu : 17:04 | コメント (4) | トラックバック
2004年1月24日
春節
さる1月22日は中国の旧正月「春節」だった。日本では生活諸事のめりはりがなくなる中で正月のありがたみも薄れているが、中国ではいまだに特別なイベントである。人々は生まれ故郷に帰り、家族が一堂に会して新年を祝う。新年を迎える瞬間には花火を打ち上げ、爆竹を鳴らす。
たまたま4年前に上海で春節に遭遇した。街中に花火や爆竹の爆発音が鳴り響き、硝煙が街路を覆う。さながら市街戦である。
すべてディジタルヴィデオからのスクリーンショットである。撮影中の自分の声が生々しく収録されているが、明らかに高揚している。春節を迎える上海の人々の気分が当方にも伝染したかのようだ。
投稿者 kmatsu : 22:51 | コメント (0) | トラックバック
2003年12月24日
古本屋の楽しみ
古本屋は楽しい。数十年前の古書を繰るのも面白いが、10〜20年くらい前の書物を見るのは別の意味で面白い。この頃はこんな書き手がいた、この人はこんなことを言っていたというのを確認する、気恥ずかしさも伴った楽しみである。両者を分かつポイントは、当事者が存命であるか否かである。当事者が生きていれば、当事者にヒアリングが可能であるという(じっさいには敢行しないにせよ)事実だけでリアリティが強化される。もちろん、当事者が存命の間は、当事者にはばかって自由な物言いができないという事態も往々にしてありうるのだが。
投稿者 kmatsu : 23:52 | コメント (0) | トラックバック
2003年12月16日
人体の不思議展
東京国際フォーラムで「人体の不思議展」を観た。
プラスティネーション(プラストミック)による人体標本の大規模展示を観るのはこれで三度目である。最初は1995年秋の国立科学博物館だった。今回の標本は中国で作成されたということで、体型や顔立ちに親しみが湧く。また、三度目でも、体の中の仕組みに見入ってしまう。
ちなみに、本場のドイツでは、医療教育目的というよりは装飾的な標本も増えているらしい。18世紀にオノーレ・フラゴナールという人物が死体で彫刻のような標本を製作しているが、装飾的なプラスティネーション標本は、ポーズなどの趣向がよく似ている。模倣か、材料の制約か、それとも奇怪な趣向の創造力には限りがあるのか。
投稿者 kmatsu : 23:06 | コメント (0) | トラックバック
2003年8月31日
PARADE
ジャック・タチの "PARADE" を見た。遺作である。サーカスのパレード(エリック・サティも同名のバレエ音楽を手がけていたっけ)の芸を見せる趣向である。印象は物悲しい。蓮實重彦はジョン・フォードの作品で一番好きなのが遺作の「荒野の女たち」だと言っていたが、タチの映画で一番好きなのが "PARADE" だと言ったら似ているのかな。わたくしは言えません。
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付記
この作品にはさまざまなサーカス芸だけでなく、タチのパントマイムが多く収録されている。見事な身のこなしである。だが、これ以外の作品ではパントマイム自体が主役になることはなかった。タチの出自がパントパイム芸にあることは間違いないが、最終作では映画の力を信じなかったのかとさびしい気持ちになる。
投稿者 kmatsu : 22:40 | コメント (0) | トラックバック
2003年7月31日
Change the world
エリック・クラプトンの "Change the world" という曲を知ったのは、1998年1月のマニラである。
マニラはちょうど大統領選挙の直前で、後に不正疑惑で退陣したエストラーダと、上院議員のデベネシアが競っていた。泊まっていたホテルの近くに、デベネシアの野外応援会場があった。フィリピンの大統領選挙はお祭りである。選挙期間中、野外応援会場で何度も応援イベントが開催される。イベントは夕方から開催されるが、デベネシアの応援会場では昼間から同じ曲が繰り返し流されていた。それが "Change the world" である。
そのときは蒸し暑いマニラのけだるい雰囲気にふさわしい思っただけだった。だが、よくよく考えてみれば大統領選挙で"Change the world" である。「世界を変えろ」、下世話に言えば「世直ししようぜ」という直截なメッセージだ。とはいえ、この曲は威勢よく世の中を変えようというのではなく、「変わったらいいな」という実現不可能な願望をつぶやいているだけである。そのせいか、デベネシアはエストラーダに敗れた。
今でも"Change the world" を聞くたびに、マニラの蒸し暑くけだるい昼下がりを思い出す。
投稿者 kmatsu : 23:14 | コメント (0) | トラックバック
2003年7月26日
イギリスの歓び
雑誌「芸術新潮」の最新号は「イギリスの歓び 美術で巡るとっておきの旅ガイド」である。
まずスコットランドのあたりを読んだ。スコットランドは美術で見るべきものはないが、風景がすばらしい。とくに北部のハイランドは、これが「嵐が丘」の風土と納得できる荒涼とした風景である。シングルモルトウィスキーを飲みたくなった。
また、都築響一が「珍日本紀行」のノリで奇妙な美術館・博物館を紹介しているが、これが秀逸。なんといっても、イギリスといえば奇人・変人の宝庫である。世界の変人をアルファベット順に紹介したジャン・クロード・カリエールの「世界奇人博覧会」(正確なタイトルを失念)でも、イギリス人の登場が多い。
投稿者 kmatsu : 23:53 | コメント (0) | トラックバック
2003年7月20日
Whitebook
Whitebookという雑誌は、ハイアット、ポルシェ、ブルトハウプ、シティバンク、ドン・ペリニョン、ハリー・ウィンストン、バング&オルフセン、カッシーナ、ジョルジョ・アルマーニといったブランドがスポンサーを務める。書店では売っていない。これらのブランドの顧客に郵送される。
それぞれのブランドの製品・サービスの紹介だけでなく、林望、国境なき医師団、船越桂といった記事が掲載されている。道楽、ノーブレス・オブリージェ、アートと、テーマ選びにもソツがない。なお、製品・サービスの紹介記事には、値段・価格といった下世話な情報は提示されていない。
書店で販売される雑誌なら BRIO と同じ読者層かね。可処分所得が高い人々、もしくはその予備軍を対象とする。もちろん、わたくしはそのいずれでもない。
投稿者 kmatsu : 22:34 | コメント (0) | トラックバック
楽園の島
雑誌 Brutus の最新号は「楽園の島へ」という特集である。異国の島々ではなく、日本列島の島々を北海道から沖縄まで紹介している。とはいえ、やはり興味は南の島へ向かう。沖縄の強烈な日差しと、くたびれたコンクリートの建物を思い出す。もちろん、小熊英二の「日本人の境界」を思い出すと、軽々しく楽園などと口にするのは憚られるのだが。
投稿者 kmatsu : 22:21 | コメント (0) | トラックバック
2003年7月13日
窓の満月
つまらないことを思い出した。中学生のときのことである。
その日、校庭で遊んでいた我々は二階の物理科教室の窓に異様なものを見つけた。丸い物体である。この物体はやや赤みがかった白色で、暗い物理学教室の内部に対してあたかも満月のように映えていた。我々はその物体を固唾を飲んで凝視した。
突然、その物体が動き出した。我々は思わず声を上げた。すると、窓の中には物理科の教師が我々を不審がるかのように佇んでいた。我々は気がついた。その教師は窓際にある暖房用のラジエータグリルを調整するためにかがみ込み、頭頂部を外部に曝していたのである。
我々が笑いの発作に陥り、物理科の教師が呆気にとられていたことは言うまでもない。十代のほろ苦い記憶である。
投稿者 kmatsu : 20:45 | コメント (3) | トラックバック
2003年7月11日
よこしま
ななめにストライプが入ったシャツを着ていた男にざれごとで「よこしまなヤツ!」と軽口をたたいて気づいたが、「よこしま」って「横縞」とは違うのだろうか。
確かに横縞にはよからぬイメージがある。横縞の衣服といったら、囚人服だ。横縞という意匠は西欧由来というわけではなく、日本でも伝統的に横縞の衣服を着用している人間はただならぬ輩だったようだ。そういえば、横縞の衣服を愛用していた人物といえば、まっさきにパブロ・ピカソを思い出す。眼光炯々として精力的で、なかなかアヤしいジジイだった。
辞書を引いてみたら「横縞」は「よこじま」と読むらしい。「よこしま」の「しま」は「縞」ではなく、様子・状態をあらわす接尾語とのことだ。
そういえば、ユイスマンスには「さかしま」という作品があったっけ。読んだことはないけど。
投稿者 kmatsu : 23:49 | コメント (0) | トラックバック
2003年7月 1日
茶
「茶化す」で思い出したけど、「ヘソで茶を沸かす」といい、「茶」って冷やかしのニュアンスがあるようだ。「茶にする」、「茶を言う」、「茶を挽く」などという成句もあるらしい。「茶を濁す」は別かな。
投稿者 kmatsu : 21:27 | コメント (4) | トラックバック
2003年6月28日
食玩「グリコ 昭和の思い出」シリーズ
またケムール人を取ってしまった。(写真) 前回はモノクロだったが、今度はカラーだ。考えてみれば「ウルトラQ」はモノクロだった。モノクロの方がオリジナルの雰囲気を伝えている。
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2003年6月25日
アダムスファミリー
電車のボックスシートの対面に座った女性に目が釘付けになってしまった。美女、かも知れない。六十代、ロングヘアー、そして厚化粧。マブタにも隈取りと塗り込みが施されていて、目を閉じると白目を剥いているように見える。目玉を描き込みたい衝動に駆られてしまった。
投稿者 kmatsu : 22:42 | コメント (0) | トラックバック
2003年6月22日
ハヴァネロ
世界で一番辛いハヴァネロという唐辛子を使ったサルサソースを試してみた。料理はタコライスである。結論はとにかく辛い、そして、うまい。タコライスを作成した家内からは、辛ければ何でも美味いのかと疑念を突きつけられたので、料理がよかったのだと一応は回答した。実際のところ、辛さは麻薬的であり、より刺激の強いものを求めてしまうものである。
「文化誌」という題名のついた本にはつい手を出してしまうが、2年ほど前に読んだ「トウガラシの文化誌」(アマール・ナージ著・晶文社)も読み甲斐があった。同書によると、辛さを示すスコヴィル単位という尺度があるそうで、タバスコソースが3万から5万度なのに対し、ハヴァネロは30万度とのことだ。もちろん、加工されたサルサソースが原料のハヴァネロほど強力なスコヴィル値をもっているかどうかは分からない。だが、感覚的にタバスコソースより強烈なことは確かである。
ハヴァネロの産地コロンビアの人々は、生の実をかじっているという。うらやましい。ぜひ試してみたい。そんな気持ちが強くなる。典型的な中毒者である。
とはいえ、食した今は「後遺症」を恐れている。明朝の出勤途上に「発症」しないことを祈るばかりだ。
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2003年6月21日
食玩「世界の神話シリーズ」
不動明王を2つ取ってしまった。
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不動明王はこんなヤツです。
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2003年6月20日
へそ
情景を考えると気持ち悪くなる慣用句。
へそを曲げる
へそで茶を沸かす
そういえば、今朝、国語の乱れが報じられていた。「気の置けない」、「役不足」は間違えてなかったけど、「流れに掉さす」を間違えていた。そんなものか。
投稿者 kmatsu : 23:43 | コメント (0) | トラックバック
2003年6月18日
ユング「オカルトの心理学」
翻訳は島津彬郎。「魂=常態では自我に属する無意識の複合体」、「霊=普遍的(集合的)無意識」というあたりはともかく、Parapsychology(超心理学)にはついていきかねる。
