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2009年12月27日
「女優 岡田茉莉子」(岡田茉莉子著、文藝春秋、2009年)
岡田茉莉子の女優デビューは1951年。爾来、第一線で活動を続け、そのキャリアは日本の戦後映画史の大半をカバーしている。したがって、自伝はおのずから戦後映画史の趣を持つ。
岡田茉莉子はサイレント期の映画俳優、岡田時彦を父にもち、一歳で死別した。高校時代のある日、たまたま観た古いサイレント映画の題名を母に告げたとき、主演俳優が父だと知らされたという。映画女優として生きる運命を象徴する有名なエピソードである。また、事実、自分の知らないところで映画女優となるきっかけになっていたという。
もちろん、夭逝した俳優の子女が映画俳優としてデビューしても、みなが映画俳優として生き続けるわけではない。たとえば、岡田茉莉子と同じ時期に出演作が多かった桑野みゆきという女優。夭逝した桑野通子の娘である。二十代半ばで結婚して引退した。女優を生き続けるには、環境や当人の資質にくわえて、本人の意志が決定的なのだ。本書によれば、岡田茉莉子はアイドル女優だった頃から「女優 岡田茉莉子」となることに努めてきたという。
さらに、吉田喜重という映画監督を伴侶に得たことが女優として生きることを強く後押ししたことは間違いない。1960年代、岡田茉莉子と吉田喜重は、女優と監督というコンビで質の高い作品を多く生みだした。この時期、ほかにも小山明子・大島渚、岩下志麻・篠田正浩という女優・監督コンビが活躍したが、夫婦による「合作」に成功作が多い点では岡田茉莉子・吉田喜重コンビがベストだろう。
本書には、撮影所や映画監督の現場の雰囲気が描かれている。これは、映画史の証言として貴重だ。たとえば、プロデューサーシステムの東宝、監督中心の松竹の撮影所の違い。あるいは、成瀬巳喜男から小津安二郎に至る多くの巨匠・名匠たちの現場の雰囲気がなまなましく感じられる。
そして、もちろん吉田喜重監督のエピソードも多く綴られている。穏やかに見える吉田善重が、ときには落胆し、ときには熱く語り、ときには精神の不調を訴えるという逸話は、監督本人は望まないだろうが、吉田喜重の映画作品を観る上では興味深い。
岡田茉莉子・吉田善重コンビの最新作は2003年の「鏡の女たち」である。これ自体が、30年ぶりのコンビ作だった。彼らより年長の本家ヌーヴェルヴァーグの監督たちはまだ旺盛に映画を撮り続けている。彼らの新作を観てみたいものだ。
投稿者 kmatsu : 2009年12月27日 22:30
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