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2009年2月 6日
「幻のB級! 大都映画がゆく」(本庄慧一郎著、集英社新書)
「大都映画」という映画会社があった。活動期間は、昭和2年から戦時統制で他社と合併させられた昭和17年まで。活動期間の大半で、年間製作本数が100本を越えるという多産ぶりを発揮した。そして、製作したのは徹底して娯楽作品のみ。見物料が他社より安いこともあって、大都の映画しか見ないという根強いファンが多かったという。
本書では、大都映画の創業から消滅までが、創業者の河合徳三郎のエピソードを中心に描かれる。著者は脚本家であり、大都映画を題材にした舞台作品の脚本も書いている。
それにしても、本書で描かれる大都映画の有り様は夢か幻のようだ。土建業で一家を成してから河合商会=大都映画を創業した河合徳三郎も、猛烈な量産で多忙だったにもかかわらず意気盛んだったスタッフも、そして何より大都映画の娯楽作品を熱心に支持した観客も、70年以上を経て歴史的な過去の中にある。
大都映画は、千本を越える作品を製作したにもかかわらず、現存するフィルムはごくわずかだという。娯楽映画しか作らなかった映画会社にふさわしい事実である。もっとも、現在ではアートと見なされる溝口健二や小津安二郎の作品でも、戦前期で残っているものは多くはない。
文芸は残り、映画は消滅する。この違いは流通する媒体の数量に起因する。テキストは数千部、フィルムは数十本。同じ数千人に届くものでも、媒体の数量によって残存する可能性が大きく違った。
ディジタル技術はこれを変えた。映像もディジタル情報となって、テキストと同じものになった。あるいは、すべてのディジタル情報と同じものになった。大量に複製され、雲として表現されるそこかしこに保存され、残存する可能性が高くなった。そして、見ようと思う者がすぐに見られるようになった。あるいは、なろうとしている。
テキストも映像も、作ること、人に提供することが簡単になった。そして、それは残る。人の知覚も変わる。
投稿者 kmatsu : 2009年2月 6日 22:46
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