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2008年9月28日

「アフリカ・レポート」(松本仁一著、岩波新書)

アフリカ諸国の実情をレポートする松本仁一氏の近著である。

カラシニコフ
「カラシニコフ」の語り部
「カラシニコフ自伝」(エレナ・ジョリー著、朝日新書)

本著で取り上げられるのは、ジンバブエと南アフリカ。かつて民族自決の輝ける星として脚光を浴びた国々である。そして、その現状は前著で「失敗国家」と呼ばれた国々と変わるところがない。

国民の仕事がない。教員の給与が払われない。警察が機能しない。為政者は私腹のみを肥やす。国民は将来への希望を持てない。さらには、為政者が国民の不満のはけ口として部族や民族の対立を煽り、ときには大規模な虐殺をも引き起こす。政府の腐敗と統治の失敗。国民の生活を守るという国家の最低限の役割が果たされていないのだ。

対立する部族が同居していること、それが植民地時代の西欧諸国の押しつけの結果であるということは、正しいかもしれない。とはいえ、世界が国民国家群によるシステムとして編成されているという圧倒的な現実の前では、まずはみずからが国民国家として存立していかなければならない。

1914年の米国映画に"The Birth of Nation"(D.W.グリフィス監督)という作品があった。邦題は「国民の創世」。西欧系の言語におけるnationは、日本語では、民族とも、国民とも、国家とも訳される。国民国家は、何らかの一体感をもった国民によって構成される。国民は、民族としてもともとあるのではなく、国民国家とともに創られるのである。B・アンダーソンは国民国家を「想像の共同体」といった。

国民の創出に躓いた国々は混乱が続く。アフリカ諸国しかり、バルカン半島しかり。国民に結実しなかった民族は、さらに微細な民族に分解を繰り返し、対立抗争を続けていく。

著者は、政府に頼らず自分たちの生活を自分たちの努力で変えていこうとする人々に目を向ける。また、「しかしアフリカ首脳の多くが本書に出てくるような状態であるとき、日本が彼ら首脳を相手とした旧態依然のアフリカ外交を続けていていいのだろうか。」(p.204)と問う。

投稿者 kmatsu : 2008年9月28日 21:09

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