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2008年9月 9日
「不許可写真」(草森紳一著、文春新書)
日中戦争・太平洋戦争期、新聞写真は事前に検閲を受ける必要があった。本書は、毎日新聞大阪本社に保存されていた検閲済み写真を素材にした論考・エッセイである。
真髄は、帯に掲載された以下の一節だろう。
「不許可写真」(当時の国民は見ていない)の大半は、今日の目から見れば、一コマもののマンガである。滑稽である。なぜこんなものが不許可なのか、サッパリわからず、理由をきいて吹き出してしまう。写真を笑うのではなく、不許可の「理由」に笑うのである。」(p.77)
また、こんなくだりもある。
「当時から、日本の宣伝下手は、有名であった。ナチスや共産主義を目指すソ連の国歌宣伝は、統制が一元化され徹底している。「国家とはなにか、それは宣伝である」というところまで行っている。そもそも情報開示も情報閉鎖もないのである。写真ならば、徹底したグラフィック化(謀略)が図られる。アメリカならば、情報開示という名の閉鎖を行う。報道写真の自由を認めることにより大衆を誘導する。キャパの戦争写真は、誘導された宣伝写真ともいえる。報道写真を宣伝写真に転用しようという日本政府や軍部の魂胆は、その点からすれば、ケチすぎる。よくいえば、真面目すぎる。」(p.21)
「ナチス・プロパガンダ 絶対の宣伝」という書物をものした著者ならではの洞察だ。
草森紳一は去る三月に自宅で亡くなった。独居死である。だが、「本が崩れる」を読んだ後では、幸せな死に方に思える。
「不許可写真」には味わい深い記述がそこかしこに散らばっている。いくつか引用しておこう。
「戦争は、長大なる叙事詩の材料である。いや叙事詩そのものである。《略》二〇世紀は、映像(イメージ)の時代である。これが叙事詩を殺したともえる。しかし、この映像なるものが、言語(イメージ)そのものだとわかるのに、ずいぶんと時間がかかっている。いや、いまだってわかっているといえない。《略》しかし、カメラの発明によって、叙事詩は生まれなくなったともいえるのだ。《略》湾岸戦争は、叙事詩たりえない。とつぜん人は血を流して死に、あっというまに都市も破壊されるが、イメージ(文化情報)でしかなく(SF作家ディックのいうシミュラクルである)、空洞無化の戦争である。これを叙事詩にするのは、容易でない。」(p.60)
「死と隣り合わせで戦う兵士たちにとって厄介なのは、勝手にお腹がすく食欲、ついで勝手に精子が蓄積されていく性欲である。軍隊にとって、これらは志気にかかわる重要問題である。食欲と性欲はわかちがたく相関関係にあり、その頂点に生と死がある。戦争とは、エロティシズムの問題である。世界の戦争の裏面史は、「現地調達」の強姦史である。」(p.86)
「時代の空気とは、怖ろしいもので、死骸の写真を見ても、むごいというより、戦争はいやだと思うより、何やらこの世の桎梏から解放され、安らかな眠りについているように思えたりする。今日は、一体どのような時代なのか。」(p.143)
投稿者 kmatsu : 2008年9月 9日 21:34
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