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2008年1月12日

「数学する精神」(加藤文元著、中公新書)

本書のサブタイトルは「正しさの創造、美しさの発見」である。

この「人間と数学との関わり」というのが、この本を通して流れる最も重要なテーマである。そしてその際重要なキーワードが数学の「正しさ」と「美しさ」である。(はじめに v)

「人間と数学」という主要テーマと緊密に絡み合いながら、この本の内容の底流として密かに流れるテーマが数学の「具体的」側面と「抽象的」側面というディコトミー(二分法)である。(はじめに vii)

このように、数学上の記号には意味が不可欠であり、意味が記号を生き生きとさせる。その生き生きとした生命の源に人間がいる以上それは(程度の差こそあれ)何らかの具体性を持つことになる。まさに数学における記号とは、具体と抽象の狭間にある生きた言葉である。(はじめに viii)

事例として、パスカルの三角形、二項展開、組み合わせの数の関連が数章にわたって紹介されている。それぞれ独立した3つのものが、計算過程や法則の「パターン」において同一であるという展開はスリリングだ。それは続く章でさらに深い議論に導かれる。

その意味で、まさに記号としての数式は、いわゆる「作動しつつある言語」という側面を多分にもっている。それはすでに語られた意味のみならず、未だ決して語られたことのない意味を常にわき出させているのである。美しい数式が、たとえ証明されてしまっても、いつまでも人に神秘的な印象を与え続けるのも、そんなところに理由があるのではないだろうか。その意味で、数にしろ空間にしろ、その「肉」とでも言うべきものからどの部分を「見える」ものとして切り出してくるか、つまり一つの「理念」として昇華させるか、ということが人間が行う数学行為というものの意義や芸術性を決める重要な要素なのだろうと思われる。(p.208)

人間が恣意的に決めた形式的な体系が、人間の恣意を越えて途方もない深みや美しさをもつ。あるいは、人智に出でて人智を越えた実在となる。面白い。

投稿者 kmatsu : 2008年1月12日 20:17

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