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2008年1月20日
「日本の女が好きである。」(井上章一著、PHP研究所)
同じ著者の手になる「美人論」(1991年)から17年。美人の見てくれにこだわった本が増えてきたという。
まあ、責任の一端は、私にもあるのかもしれない。あけすけと美人不美人を活字で論じだしたのは、そもそもお前だろう。お前が『美人論』(1991年)なんかを書くから、こんな事態になったんじゃあないか。とまあ、そんないちゃもんも、聞こえてきそうな気がする。 私は『美人論』で、美人に関する言論の歴史をおいかけた。外見はぱっとしなくても、知性のかがやく女を知性美人という。すこやかで明るい女を健康美人とよぶ。ああいったおためごかしは、いつどのようにしてできたのかを、ときあかした。(p.158)
そして、美人論が言論界のタブー=自己規制を考えることに通じると締めくくる。
言論界には、さまざまなタブーがある。容姿がらみのことどもだけに、かぎらない。書くことを、もっと憚るテーマは、たくさんある。人種差別につながる言辞、身体障害をおとしめる言い草、等々である。そして、こういうことをふせたがる度合いは、ますます強くなっている。 《中略》 『ブスのくせに!』といったような本が、刊行されていく。それも、強化されていく言論規制の、はけ口になっているせいだと、私は考える。在日朝鮮人の作家であったつかこうへいが、「ブスをブスだとちゃんと言いきろう」とする。そのことがもつ意味は、あらためて考え直してみたい。(p.161)
言論の自己規制という問題は前著の延長上にある。それとは別の展開の可能性が、あとがきの最後にほのめかされる。
女たちは、目に見えぬチャドルから、ときはなたれてきた。男をそそってあやつる、いわばエロ力(ぢから)の発揮を、社会へみとめさせるようになっている。それをおしとどめようとするおっさんの壁は、つきくずされてきた。つまりは、女権がのしあがっていたのである。 いずれは、美人論も、この方向でまとめなおしたい。(p.165)
本書はさまざまなアイディアの覚え書きといった趣きで、まえがきにも「ラフスケッチ」とことわりがある。個々のテーマの掘り下げが浅い印象は免れない。
建築史から近代風俗史に転向(?)した著者の著作では、「愛の空間」と「パンツが見える。―羞恥心の現代史
」が面白かった。2006年の「夢と魅惑の全体主義
」は建築史時代の積み残しを著作化したものだが、全体主義と建築の関連を論じて示唆に富む。
投稿者 kmatsu : 2008年1月20日 20:52
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