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2007年10月27日
「健全なる精神」(呉智英著、双葉社)
「健全なる精神」(呉智英著、双葉社)は以下の一節が印象的だ。帯にも引用されている。
おそらく日本中で私一人が、団塊の世代のはしりであり、全共闘体験もある私一人が、差別は正しいと言っている。差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じくらい正しい、と。人類が目指すべきは「差別もある明るい社会」である。差別さえない暗黒社会にしてはならない、と。私は団塊の世代の一人として、時代に対する責任感から、そう言い続けてきたのである。(p.26)
呉智英の主張は、最初の著作「封建主義、その論理と情熱」からブレがない。
呉智英の「封建主義、その論理と情熱」と平岡正明・上杉清文の対談集「どーもすいません」は、いずれも1981年に刊行されている。この二つの著作から受けた学恩は計り知れない。学恩というと大げさだけど。
投稿者 kmatsu : 22:00 | コメント (0) | トラックバック
インランド・エンパイア(デビッド・リンチ)
「インランド・エンパイア Inland Empire」は、デビッド・リンチの処女作「イレーザー・ヘッド」と雰囲気が似ている。制約の少ないところで好きなように作る、自主映画の雰囲気である。
それを支えているのがディジタルビデオカメラによる撮影だという。
じつは、この事実を知らぬまま観始めてすぐに気がついた。ハイライトの白飛び、輪郭の滲み、斜め直線のギザギザ。暗い場面では目立たないが、いかにもビデオである。デビッド・リンチには、映像のクオリティより、制約の少ない撮影スタイルが重要なのだ。まあ、ハイライトの白飛びは、白日夢のような作風に相応しいとも言えるが。
本作では、映画中映画の撮影場面が何度も登場する。そこで使われている機材は聖なるプロ用フィルムカメラのパナビジョンだ。その場面を民生用に近いビデオカメラが撮影する。古い映画屋からすると、なんとも倒錯的な情景である。
そして、白日夢の中でただただ困惑するヒロインのローラ・ダーン。
デビッド・リンチの「ブルー・ベルベット」に「ワイルド・アット・ハート」、「ジュラシック・パーク」(1および3)、「パーフェクト・ワールド」(クリント・イーストウッド)と多くの有名作に登場していても、印象の薄さが印象に残るという人である。
本作では、中年に達した容貌をむき出しでクロースアップに供している。ただならぬ意気込みである。共同プロデューサーに名を連ねてもいる。
ヴィム・ベンダースの「パリ・テキサス」(1984年)では主役を張っていた(生涯で唯一?)ハリー・ディーン・スタントンは80歳を越えている。感慨深い。
投稿者 kmatsu : 20:34 | コメント (0) | トラックバック
2007年10月21日
地球の静止する日
「地球の静止する日 (The Day the Earth Stood Still)」(1951年、アメリカ、ロバート・ワイズ監督)は、友好的な異星人来訪モノの先駆けとなったSF映画である。異星人が地球に平和と核兵器廃絶のメッセージを伝えるストーリーは、この時期に米ソ冷戦が本格化しつつあったことを背景にしている。
ディテールは突っ込みどころが満載だ。のっぺりした円盤形の宇宙船。同じくのっぺりしたロボット。この宇宙船とロボットは、1950年代SF映画のイコンである。たとえば、1970年代の音楽作品ではこのように引用されている。
着陸したのっぺり宇宙船を警戒する軍隊のすぐ後ろでは一般人が見物している。牧歌的でうれしい描写だ。
監督のロバート・ワイズは「ウエスト・サイド物語」や「サウンド・オブ・ミュージック」で名高い。1940年代にはオーソン・ウェルズの最初の二作「市民ケーン」と「偉大なるアンバーソン家の人々」の編集を手がけていた。映画史的にはこちらが重要だろう。
世評の高い「市民ケーン」に対して、「偉大なるアンバーソン家の人々」はその後のウェルズの人生を象徴するかのように呪われた作品である。製作者と折り合いが悪く、原形を留めないほどカットされているという。現在残されているバージョンは、前衛的とも言えるほどストーリー展開が唐突だ。この呪いの編集にロバート・ワイズが関わっていたのである。
「地球の静止する日」のDVD版にはサンフランシスコ講和条約を報じるニュースリールが収録されている。この条約は連合国による日本の占領状態を解除するものである。ちなみに、1945年から1951年まで日本製品の原産国表示は"MIOJ (Made in Occupied Japan)"、すなわち「占領下日本製」だった。この時期に日本の占領が解除されたのも、米ソ冷戦の激化を象徴する朝鮮戦争が始まったことが契機となっていたのである。