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2007年3月 4日
アルバムの家
「アルバムの家」(女性建築技術者の会 著/三省堂)では、33人の女性建築家たちが自分の育った家と暮らしを語っている。なにより面白いのは、間取り図が付いていることだ。この間取り図が、それぞれの家の暮らしぶりを想像するよい手がかりになっている。
紹介される家と暮らしはさまざまだ。農家、商家、サラリーマン世帯。この中で商家、とくに町屋の暮らしは馴染みがなく、とても面白かった。表通りに面した狭い間口に深い奥行き。表と裏の間には通り庭が貫通していて、ときには近所の人びとの通路となる。
いにしえの暮らしの話は面白い。もちろん、柳田国男や宮本常一が描く近代以前の日本人の暮らしぶりも面白いが、本書が描く昭和20年代から50年代は自分の幼少期とも重なり、ぐっと身近に感じられる。電化製品の普及、子供部屋の独立など、人びとの暮らしぶりが大きく変わった時期であり、こうした通説を現場の体験談として確認することもできる。
だが、本書でもっとも印象的なのは、次の二カ所だった。
義母は晩年、病院で「うちに帰る」とよく言っていました。「うち」とは娘時代を過ごしたところでした。友人知人のお母様も同じようなことを言っていたと聞きます。 帰りたい家とは建物のことだけではなく、その時代や家族関係に帰りたいのです。年老いた女の人にとって一番良い時代とは娘時代なのだなと妙に納得させられます。(p.132)
(取り壊し間近の家を久しぶりに訪れて)ところが、歩いて5分先にあるはずの家はなく、あったのはただの老朽化したあばら屋でした。こんな家にプライドを持たせていた母の力に驚くと共に、住まいというものは、どんな家であっても、人がしっかりと生活することによって息吹くものだと痛感した瞬間でした。(p.244)
家は、そこに住む人と固く結びついている。家は、建てただけでは家ではなく、人が住んで生活してはじめて家となるのだ。民家の廃屋を見るときに感じる悲しさは、そこに住む人がいないこと、さらには、そこに住んだ人の痕跡が残っていることに由来するのだろう。
投稿者 kmatsu : 2007年3月 4日 16:27
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