2007年2月19日
ミスティック・リバー
クリント・イーストウッドの「ミスティック・リバー」(2003年)DVD版には、出演者ティム・ロビンスとケビン・ベーコンによる解説のサウンドトラックが収録されている。映画全体で二人がコメントするという趣向である。
一度本編を見た後、このサウンドトラックで再生を始めたら、ついつい最後まで見通してしまった。一粒で二度おいしいというところか。
まず、二人ともじつに言うことがマトモである。まっとうな知性が感じられて好ましい。
そして、二人が繰り返し言及するのは、クリント・イーストウッドの「ワンテイク主義」である。通常の監督なら同じショット(カット)を複数回撮影する。出来が気に入らないこともあれば、いくつか演技のバリエーションを残して後で判断したいという場合もある。ところが、イーストウッドはほとんどのショットを一回しか撮らないというのだ。
これはスタッフや俳優と監督の間に信頼感がなければ成立しない。とくに俳優にとっては高いレベルのプロフェッショナリズムが要求される。
だが、このワンテイク主義は、スタッフや俳優に別の効用をもたらす。
さいきんの映画撮影は1日に12〜14時間続けるという。ところが、イーストウッドの場合は6時間かっきりだ。映画撮影中も、人間的な生活を続けられるというのだ。
ワンテイク主義には「硫黄島からの手紙」に出演した日本人俳優たちも言及していた。
イーストウッド映画の特徴は、語り口の慎ましさや、簡潔さである。それは、撮影自体の簡潔さにも裏付けられているのである。
投稿者 kmatsu : 22:22 | コメント (0) | トラックバック
上海特急
「上海特急」(1932年)は、マルレーネ・ディートリッヒが美しく撮られた映画である。彼女を美しく撮るためだけに作られた作品だといってもいい。
「上海特急」は、「嘆きの天使」に始まるディートリッヒとジョセフ・フォン・スタンバーグ監督との一連のコンビ作品の掉尾を飾っている。二作の間には「モロッコ」や「間諜X27」がある。
本作、じつは映画としての盛り上がりには欠け、スタイリッシュな雰囲気ばかりが印象に残る。そして、このスタイリッシュな雰囲気はマルレーネ・ディートリッヒを美しく見せるための舞台装置としてのみ機能する。物語が展開する動乱期の中国も(ちょうど満州事変が勃発した直後!)、エキゾチックな書き割りにすぎない。ハリウッド映画の描く外国はいつもそうなのだけど。
とはいえ、ウォーナー・オーランドが演じる反乱軍(軍閥?)のボスの重厚なたたずまいは素晴らしい。悪役の憎々しさのきわみである。スウェーデン出身のウォーナー・オーランドは「チャーリー・チャン」シリーズの中国人役で有名だった。
「上海特急」に先立つ1920年代の無声映画(サイレント)時代、ハリウッド映画では東洋人が主役級を演じることもあった。早川雪舟や上山草人がその例である。ところが、有声映画(トーキー)時代の到来とともに、西欧人が東洋人を演じるようになった。たとえば、ペーター・ローレという俳優には「ミスター・モト」シリーズがある。(ペーター・ローレは、フリッツ・ラング監督のドイツ時代の作品の不気味さが強烈)
「上海特急」で謎めいた中国女を演じているアンナ・メイ・ウォンは、1920年代は主役級だったが、トーキー以降は不遇のまま一生を終えた。早川雪舟や上山草人は日本に戻って活動の場を得たが、米国生まれの彼女に戻るところはなかったのである。
投稿者 kmatsu : 21:46 | コメント (0) | トラックバック
恐竜100万年
「恐竜100万年」(1966年)を初めて観たのは小学校4年のときだった。テレビの映画番組である。そのときは恐竜が暴れ回る特撮映像に釘付けだった。一緒に観ていた父親は恐竜よりラクウェル・ウェルチに釘付けだったかも知れない。そのときの父親より年を食ってしまった自分がそうだったので。レイ・ハリーハウゼンによる特撮映像は洗練されたCGに慣れた目から見ると素朴で、かえって新鮮である。
この映画、ディテールに凝っている。まず、通常の言語によるセリフがない。字幕や吹き替えが必要なのは冒頭のナレーションだけだ。
そして、二つの原始人部族を描き分けているのが目につく。二つの部族は黒髪と金髪に分かれていて、粗暴で狩猟と諍いに明け暮れる黒髪部族、穏和で文化的な金髪部族という描き分けだ。考古学的な知見も多少は盛り込まれている。洞窟の壁画、埋葬儀礼、単純な農耕、皮なめし、工芸品作り。
この凝り方はどうみてもイギリス人の仕業だ。それも道理で、製作は恐怖映画を専門にしていたイギリスのハマーフィルム。スタッフもほとんどイギリス人らしい。人跡の見えない殺伐とした荒野は冬のカナリア諸島でロケしたとのこと。