« 2006年8月 | メイン | 2006年11月 »

2006年10月23日

NHKの時報時計

かつての時報時計がNHKオンラインでブログツールとして提供されている。 木目調はこんな案配である。
機械式時計に時刻合わせは欠かせなかった。機械式時計は、どんなに微調整しても一日に何秒かはずれる。そのうえ、季節によってもずれが変わる。朝と夜、7時のニュースが始まる直前に流れる時報で、時計が示す時刻と、実際の時刻のずれを確認したものだ。じっさいに時計の時刻を直すのはだいぶずれてからだったが。

機械式時計に比べて格段に精度の高いクォーツ時計が普及してからは、時報を気にしなくなった。そして、地上波デジタル放送が始まって、テレビ放送の時報はなくなった。

デジタル放送とアナログ放送を同時に映してみると、デジタル放送の映像が遅れることがわかる。送出側の圧縮処理と、受信側の伸張処理が原因である。

デジタル技術の普及にともなって時報のありがたみは薄れた。そして、別のデジタル技術によって時報の息の根は止められたのである。

投稿者 kmatsu : 21:41 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月16日

オートクロームによる第一次世界大戦のカラー写真

第一次世界大戦のカラー写真である。

戦闘で破壊された家屋は捉えられていても、戦闘中の場面はない。牧歌的な雰囲気である。そこにかえって戦場のリアリティが感じられる。そして、色があるだけで、モノクロよりぐっとリアリティが増している。

これらの写真はいずれも彩度の低い独特の色調をもっている。モノクロ写真を着色したようにも見えるが、「オートクローム(Autochrome)」という手法による正真正銘のカラー写真である。

この手法を開発したのはリュミエール兄弟。シネマトグラフの開発者である。

映画の発明はエジソンのキネトスコープに遡ると言われることもある。じっさい、映画フィルムの規格は、キネトスコープ以来基本的に変わっていない。最初の劇映画もキネトスコープ向けに作られた。とはいえ、一人一人がのぞき込むキネトスコープに対して、複数の人びとに一斉に映像を見せるシネマトグラフが、その後の映画の原型をなしていることは間違いない。

オートクロームは1907年に発売された。

色を留めるには、光を三原色に分解する必要がある。最初期のカラー写真は三回撮影したという。たいへんな手間である。1930年代に映画用に開発されたテクニカラーという手法では、カメラに3本のフィルムを入れて同時に撮影した。

一つの感材に一回の撮影で色を記録するには、感材自体に三原色を個別に記録する仕組みが必要である。

現在のカラーフィルムは、複数の層をもった構造で、フィルム面に対して垂直方向に三つの色を記録する。それに対し、オートクロームは三原色の粒子状のフィルターを表面に配置し、感材(当時はフィルムではなくガラス乾板)の水平方向に色を記録した。

フィルターに使ったのはジャガイモのデンプンである。ジャガイモのデンプンを三原色に染め、それを均等に混ぜて、モノクロの感光剤の上に塗布した。現像は反転現像で、通常のネガ(実際の明暗と反転)ではなく直接ポジ画像を形成した。こうして記録されたガラス版を光にかざすと、なまなましいカラー画像が現れる。

当時の感光剤はオルソといって、赤の感度が極端に低かった。オートクロームは、赤も記録できるパンクロマチックの感光剤が登場したタイミングにも一致していた。

オートクロームの感材の感度は低く、露光時間は長かったことだろう。じっさい、このサイトに収められている作例の中には、昼間にもかかわらず人がブレているものがある。そして、ジャガイモのデンプンをフィルターにしたので、解像度は低く、大きなガラス乾板が必要だ。長時間露光に、割れやすい大きなガラス乾板に、大型のカメラ。機動力は低く、戦闘場面を撮影することは難しかったはずである。

オートクロームはアマチュア向け以上には普及しなかった。ポジ画像を直接得るため、写真技術による複製が作れなかったこと、また、ポジフィルムを原板とするカラー写真の印刷技術が普及していなかったことが理由として掲げられよう。三原色を垂直方向に記録するフィルムが登場した1930年代からは廃れていく。

なお、現在のデジタルカメラの撮像素子は、水平方向に三原色のフィルターを配置するものが主流である。解像度を下げるローパスフィルターが必要となり、輪郭には偽色が発生する。製造コストを低減できることから、画像処理技術で弱点をねじふせ、この方式が普及した。三原色を垂直方向に記録するFoveonという素子もあるが、採用しているのはシグマだけであり、マイナーな存在にとどまる。

化学処理から電子素子に写真技術がシフトしたところで、過去に廃れた手法が、再び使われているのである。光の明暗だけでなく、色を捉えるために。

附記1
写真に彩色することを「人着」といった。人着の写真は、自然さより、人工的な雰囲気が強いものが多い。文字通り、人工着色である。意識的に人工的に見せたというよりは、自然に見せることが難しかったのだろう。人着のあざとさを意識的に用いて華麗な彩色世界を作ったのが、ピエールとジルのカップルである。

附記2
exocamera-umoというサイトを参考にした。写真史というよりは、写真書史といった内容で興味深い。

投稿者 kmatsu : 22:43 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月14日

Google Docs & Spreadsheets

このアーティクルはGoogle Docs & Spreadsheetsから投稿している。

このサービス、あちこちで紹介されているとおり、WordやExcelと真っ向勝負するものではない。ウェブ上で文書を公開したり、共同編集することを売り物にしている。そして、このとおりアーティクルを編集してBlogに投稿するWYSIWYGエディタとしても使える。MovableTypeの小さなテ キストエリアにプレーンテキストを打ち込んでいくより快適だ。ただし、現時点では、タイトルとラベルが入力されない、ハイパーリンクを含むと投稿できない、などの不具合がある。

Google様系列のBloggerではすでにWYSIWYGエディタが用意されているの で、MovableTypeでもそのうちサポートされるだろうか。

なお、Google Docs & Spreadsheetsでは、ファイルの書き出しは、HTML、Word、オープンドキュメントに加えてPDFまでサポートされている。Word形式で 書き出すと、スタイルの"Header 1"や"Header 2"はそれぞれ「見出し1」と「見出し2」に変換されている。なかなかやるではないか。

今後のブラウザはAjaxアプリケーションを充実させるために機能が強化されていくことだろう。もちろん、マイクロソフトにとって好ましい変化ではない。 マイクロソフトがInternet Explorerのバージョンアップをなかなか進めないのは、Ajaxアプリケーションが主流となるのを恐れているからだという説もささやかれている。さ いきんのスティーブ・バルマーのインタビューを読むと、SaaS(Software As A Service) による広告収益ビジネスが広がるのは認めつつも、当面はPC上のプログラムと役割分担が必要というハイブリッド=漸進的変化ストーリーを提示していた。

投稿者 kmatsu : 01:11 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月10日

幻の東京赤煉瓦駅

「幻の東京赤煉瓦駅」(中西隆紀著、平凡社新書)という題名を見て、東京駅の来歴を語る書物だと勘違いした。おりしも、東京駅は、爆撃で破壊された応急処置の姿から、辰野金吾のオリジナル設計に復元する工事が進められている。

本書が扱う話題は東京駅にとどまらない。

いまはなき万世橋駅と有楽町駅。そして、芝の台地から駿河台(お茶の水)の台地をつなぐ高架線。東京駅を中心とした一連の赤煉瓦の大型構造物が取り上げられ、これらが帝都の偉容を体現するために計画的に建造されたことを伝える。

この地域は東京を周回する環状鉄道を完成するのに最後まで残された区間だった。西の長距離電車のターミナルは新橋、北の長距離電車のターミナルは上野。この間のミッシングリンクがつながらない限り、環状線はミッシングリン*グ*のままだったのである。田園地帯だった新宿や渋谷と違い、この地域が江戸時代以来の商業・住宅地域だったことが、鉄道の敷設を遅らせた理由である。

今は皇居と呼ばれている江戸城は、台地の外れの海岸に位置していた。中央区の大部分は、海岸を埋め立てて作られた平地である。鉄道による商業地域の分断を回避するために建造された赤煉瓦の高架は、芝と駿河台の台地を同じ高さでつなぐことによって、この地域が元は海だったことを控えめに示してもいる。

高架線と東京駅はいまも現役である。有楽町駅は赤煉瓦の駅舎の痕跡をまったく留めていないが、万世橋駅は、いまも神田駅とお茶の水駅の間の高架に遺構を認めることができる。

本書では、万世橋駅については、とりわけ多くの紙幅が割かれている。遺構は、人の記憶を留めもするのだ。

投稿者 kmatsu : 20:15 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月 1日

PukiWikiのテスト

Wikiを始めてみた。

BLOGは、日々の記録を残すのに適している。Web-logという名前通りの日記システムである。文章は日記でしか登録できず、また、日記を整理する仕組みは時系列とラベルしかない。まとまった文章をウェブに置くには別の仕組みも欲しい。

というわけで、PukiWikiを導入してみた。Wikiクローンのなかでも導入の敷居が低いという。

ほんらい、Wikiは、Wikipediaのように複数の人びとが共同で文章を編集する仕組みだが、個人用途でも十分役立つ。文書の登録、書式指定、ハイパーリンクの設定などなどが簡単である。独特の書式指定ルールを使うことと、そもそもWYSIWYGでないことは、人によっては抵抗を覚えるだろう。

PukiWikiのスタイルをBlogに合わせるのは当面あきらめた。CSSをいじるだけではダメだった。MovableTypeとPukiWikiは、divブロックの使い方がだいぶ違っている。腰を据えて、PukiWikiのSkinのプログラムを直さなければならない。そこまでやる必要もなかろうということで、PukiWikiのロゴだけBlogと同じ色にしてみた。

本当は、BLOGとWikiの双方が共通のプラットフォームで動くのが望ましい。XOOPSやZopeなどのCMS(Contents Management System)を使うのがよいのだろう。これまた、そこまでやる必要はなかろうと、手は出さない。なんせ、載せるのも駄文なもので。

P.S.(2006/10/10)
その後、スタイルの統合を果たす。CSSの仕組みが実感できた。

投稿者 kmatsu : 00:24 | コメント (0) | トラックバック