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2006年5月24日

悲劇週間 SEMANA TRAGICA

「悲劇週間」(矢作俊彦著、文藝春秋社)の主人公は詩人の堀口大學である。

この本、矢作俊彦の新著ということで数ヶ月前に購入したが、厚さにひるんで手が出ずにいた。主人公が堀口大學とはつゆ知らず、その後、「月光とピエロ」(愛蔵版)を書店で見かけて購入していた。本書を読み始めて、偶然の一致に驚くばかり。

さて、本書は帯に曰く「恋と詩と革命の超大作ロマン」である。堀口大學の父親は日本最初の外交官であり、メキシコ赴任中に20歳でぶらぶらしていた息子を呼び寄せた。それはちょうどメキシコ革命の時期。ここに、恋物語を合わせた物語の構造は、成長小説=ビルドゥングスロマンといえるだろう。

登場人物の中には、明治維新=戊辰戦争やパリコミューンの記憶を引きずっている者がいる。メキシコ革命を含めて、いずれも国民国家形成期の内戦である。こうした内戦は、後世から見れば国民国家が成立するまでのささやかな軋みに過ぎないだろう。国民国家の成立は、世界で同時に発生した歴史の必然だったのだと。

そこに生身の人間がいたことを本書は生き生きと描く。戦いに加わり、あるいは、巻き込まれた人びとがいたことを。

それにしても、矢作俊彦の小説のヒロインたちは、みな気高く堂々としている。理想なのだろうな、きっと。

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2006年5月14日

自由と社会的抑圧

「自由と社会的抑圧」(シモーヌ・ヴェイユ著、冨原眞弓訳、岩波文庫)は、ヴェイユ25歳の著作である。

マルクス主義を批判する舌鋒は鋭い。マルクス主義への宗教的情熱が霧散した現在でこそ、読むに値する。マルクスをマルクス主義から切り離して再評価する柄谷行人の試みともつながっている。ただ、工場労働を抑圧と捉える認識は1930年代という時代を表している。もちろん、工場労働者が悲惨な生活を送っていたのは事実だったのだろうけど。

ヴェイユはほかに「重力と恩寵」を読んだことがある。本書と同じく、真剣すぎて息が詰まりそうだった。「カイエ」を全巻読む元気は湧いてこない。

投稿者 kmatsu : 21:20 | コメント (0) | トラックバック

2006年5月 9日

スペイン巡礼史

『スペイン巡礼史 「地の果ての聖地」を辿る』(関 哲行著、講談社現代新書)は、中近世ヨーロッパ人の「信仰の社会史」を描く。舞台はスペイン西北にある巡礼の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラである。

土俗的な信仰を土台にし、反イスラム・反ユダヤの拠点として政策的にカトリックの聖地が形成された過程が面白い。ちなみに、あたくし、このサンティアゴ・デ・コンポステーラには三度行ったことがあり、合計8泊している。もちろん、巡礼ではなく仕事ではあるが、親しみはもっている。そこが舞台になっているだけでこの本は買いである。

この街はスペインとは思えない湿潤な気候で、タクシーの運転手によると年に200日も雨が降るそうだ。ケルトの伝統が残っていて、街の公民館からバグパイプを練習する音が響いていたことを思い出す。

投稿者 kmatsu : 22:09 | コメント (0) | トラックバック

2006年5月 8日

世界共和国へ

「世界共和国へ −資本=ネーション=国家を超えて」(柄谷行人著、岩波新書)は、柄谷行人のさいきんの主張をいっぱん向けにまとめている。

著者のあとがきに曰く、「(「トランスクリティーク」などについて)ただ私の不満は、それが専門家にしか通じないような著作だという点にあった。このような仕事をするかたわら、いつも私は自分の考えの核心を、普通の読者が読んで理解できるようなものにしたいと望んでいた。というのも、私の考えていることは、アカデミックであるよりも、緊急かつ切実な問題にかかわっているからだ。」

資本(資本制生産・交換)、ネーション、国家のもつれ合いを、三位一体ならぬボロメオの環として原理的に把握する。このあたりの分析は例によって犀利、かつ、スリリングである。

著者の緊急かつ切実な問題とは、世界共和国の創出である。カントに即して曰く、「では、どのように国家に対抗すればよいのでしょうか。その内部から否定していくだけでは、国家を揚棄することはできない。国家は他の国家に対して存在するからです。われわれに可能なのは、各国で軍事的主権を徐々に国際連合に譲渡するように働きかけ、それによって国際連合を強化・再編成するということです。たとえば、日本の憲法第九条における戦争放棄とは、軍事的主権を国際連合に譲渡するものです。各国でこのように主権の放棄がなされる以外に、諸国家を揚棄する方法はありません。」

犀利な現実分析と、いささか空想的な処方箋とのギャップ。もちろん、統整的理念ならぬ、構成的理念を唱えるのは必要なことなのだろうけど。

投稿者 kmatsu : 21:24 | コメント (0) | トラックバック

2006年5月 6日

ウシのいる風景

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2006年5月 5日

リアディレーラー復調

先日、リアーディレーラー(後輪変速機)の調整を近所の自転車屋に依頼した。

この数ヶ月間、Moulton APB-8のリアディレーラーは調子がイマイチだった。高速側に合わせると低速側が、低速側に合わせると低速側が、それぞれ不調。しかも、カチッというインデックスより多少オーバーにレバーを動かさないとシフトアップできない。

そんな状態でだましだまし使っていたら、ある日、フロントディレーラーをぶつけてボルトが折れてしまった。使用不能である。さっそく修理しなければならない。

そこで、以前から目をつけていた近所の自転車屋に修理を依頼した。この自転車屋、一見、こじんまりとした町の自転車だが、デローザ、コルナゴ、ピナレロといった高価格車が無造作に置いてある。

フロントディレーラーのボルトはすぐにスペアを取り付けてくれた。合わせて、リアディレーラーの調整もお願いした。連休なので中2日で直してくれという依頼も快く引き受けてくれた。しかも、依頼するときこちらの名前一つ確認しない。さすが、町のマニア自転車屋!

結果は、快調そのものである。ハイもローも確実に変速でき、しかも、シフトレバーをオーバーに動かす必要もない。変速機のケーブルを交換するだけでなく、リアの車軸受けもいじってくれた。ご覧のとおりである。

APB-8のリア車軸受けは、なぜかむやみに深くえぐってあり、変速機の性能を引き出せない。写真にあるクイックリリースは、元々は、右側のボルトの位置にあった。つまり、ボルトをかませて、車軸受けを浅くしたのである。さすがプロの仕事、と納得した。

投稿者 kmatsu : 20:29 | コメント (0) | トラックバック

2006年5月 2日

グーグル Google、既存のビジネスを破壊する

「グーグル Google、既存のビジネスを破壊する」(佐々木俊尚著、文春新書)は、Googleの全体像を提示しようとする試みである。同社の究極の目的が全世界の情報を掌握することにあり、同社の規模が大きくなるにつれ、そこに統制の気配が感じられる、というのは誰もが首肯できるところだろう。

本書で興味深いのは、たとえGoogleが破綻しても同じことは他の誰かが必ずやる、という意見である。インターネットという情報共有インフラでビジネスを展開すると、全世界の情報を掌握する誘惑に駆られるということだ。

ちなみに、本BLOGは、Googleにはまったく引っかからない情報の孤島であります。

投稿者 kmatsu : 22:34 | コメント (0) | トラックバック

2006年5月 1日

道元、自己・時間・世界はどのように成立するのか

「道元、自己・時間・世界はどのように成立するのか」(頼住光子著、NHK出版)は、道元の「正法眼蔵」のテキストを、現代の哲学の文脈に即して読み解いていく。

人間は、混沌とした感覚与件を言語によって分節し、整然としたスタティックな世界を構成していること。修行によって言語未分化の領域に立ち入り、そこから戻ってくるときに世界を再構成すること。こうした主題は、20年前の丸山圭三郎の一連の著作を思い出す。また、修行によって言語未分化領域に立ち入ることは宗教的な神秘体験といえるが、これは井筒俊彦の著作で描かれていた。

丸山圭三郎も、井筒俊彦も、すでに鬼籍に入って久しい。

投稿者 kmatsu : 21:20 | コメント (0) | トラックバック