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2006年2月26日

荘厳

遠くに転居したにもかかわらず、お花をいくつか頂戴した。

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荘厳は呉音でショウゴンとよむ。国語辞典には「浄土などの仏国土、仏·菩薩などの徳を示す美しい姿や飾り、また、仏堂·仏像などを美しく飾ること。また、その飾り。」とある。息子に仏性が備わっていたかどうかは分からないが、死者は皆「ホトケ」と言われるのだから、花で飾られてもいいだろう。いや、飾ってやりたい。

2月26日はいっぱんにはクーデター事件の決行日として記憶されている。3年前から、我が家では特別な日として記憶されている。

投稿者 kmatsu : 22:44

2006年2月25日

花街 異空間の都市史

「花街 異空間の都市史」(加藤政洋、朝日選書)は、近代の都市が形成される過程で花街が大きな役割を果たしていたことを訴える。

花街というと遊郭を思い出す。井上章一の名著「愛の空間」でも、両者は截然と区画されていなかった。だが、本書の著者は両者は明確に分かれるという。娼妓を抱えるのが遊郭で、芸妓を抱えるのが花街である。両者が重なるケースは多く見られるが、本書の研究対象はあくまで花街であるという。

花街は、置屋、料亭、待合という三つの業種から構成され、いっぱんに三業と言われる。

著者の主張は、花街が都市形成の諸局面において町の発展をなす動因として利用された産業=場所であること、そして、それが都市の建設と土地の用途にまつわる人びとの政治的・経済的・社会的な思惑を反映しつつ創出された空間であること、につきる。花街は明治期以降の所産である。昭和初期にいたるまで、じつに全国600箇所に誕生したという。近世=江戸時代的な芸事の伝統を継承しつつも、近代特有の空間なのである。

本書はこうした過程を全国各地の事例から明らかにする。

花街は昭和前期から衰退し、現在では往事の姿はほとんど残っていない。この疑問については、終章でかんたんに触れられる。曰く、芸や遊興のシステムが、安直な遊興を求める風潮と乖離し、時代遅れとなってしまったと。

著者が終章で認めるとおり、本書は文献資料をベースとしており、そこに集まる男の証言は多少引用されるものの、そこにいた女の証言はほとんどない。そこが物足りない。過去の事物は、文献資料に記録されなければ、存在していたことすら留めることはできない。

自分の記憶を辿ってみる。1980年代まで山手線の沿線では五反田と大塚に「三業地」という地名が残っていた。また、渋谷の道玄坂(円山町)から神泉に向かう途中に三業会館という木造二階建ての建物があった。昼間、その建物から三味線の音が響いていた。今にして思えば、芸者の芸が伝承される習いの場だったのだろう。先日読んだ新聞記事によると、円山町には待合いがまだ2軒営業しているという。

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2006年2月24日

鮟鱇を食す

地元で獲れた鮟鱇(あんこう)を食べた。「新潟食の陣」のイベントの1つである。

参加者に供された鮟鱇は、その日水揚げされた30キロを越える大物。この大物を捕った漁師さんも座を囲み、鮟鱇をはじめとした新潟の漁のお話を聞くことができた。会場は浜辺の漁師小屋で、波の音がBGM代わりである。

これが鍋。30キロの大物鮟鱇は、6つの鍋を満たしてあまりあった。

鮟鱇はほとんど全身が食べられるという。白身の肉、肝や卵などの臓物、そして黒い表皮の裏にぷりぷりしたタンパク質がつまった皮。どれも、とても美味だった。

新潟では鮟鱇を食べる習慣はあまりなく、もっぱら東京や大阪に出荷され、料亭の膳を飾るそうだ。鮟鱇は一年中捕れるが、やはり鍋物の季節に求められるという。

投稿者 kmatsu : 22:31 | コメント (0) | トラックバック

2006年2月23日

邂逅(めぐりあい)

1939年製のハリウッド・メロドラマである。監督はレオ・マッケリー、出演はシャルル・ボワイエとアイリーン・ダン。

ニューヨークに向かう豪華客船の中で恋に落ちた画家と歌手が、エンパイアステートビルの展望台で半年後に再会を約す。だが、当日、女は交通事故に遭遇し、再会は果たせない。そして、月日は経ち、偶然のきっかけで再会を果たす。

などというストーリーはきわめてありきたりである。この作品は何度もリメークされており、定番の出し物であると同時に、すれ違いものメロドラマの原型をなしている。だが、演出とセリフの繊細さがこの作品を忘れがたいものにしている。

印象的なのは、途中の寄港地で男の祖母の家に寄るシーン。このころのハリウッド映画には、すばらしい老人役が何人もいて、映画に深みを与えている。

そして、なんと言ってもラスト。セリフは多いが、過去のいきさつの核心に触れることはぎりぎりまで回避される。抑制されたセリフ回しの背後で高まっていく二人の感情。こうした演出を見ると、こんにちの大半のテレビドラマの即物的な演出が下品に見えてならない。

なお、監督のレオ・マッケリーは、マルクス兄弟映画の最高傑作「我が輩はカモである」の演出も手がけた才人である。「我が輩はカモである」の演出のシャープさは、その後のサム・ウッドなどが監督したマルクス兄弟映画には見られない。

マルクス兄弟というとよく使うネタ。チコ、ハーポ、グルーチョの3兄弟には、もう一人年の離れた兄貴がいた。その名はカール・マルクス、代表作は「資本論」。(ウソ)

投稿者 kmatsu : 22:26 | コメント (0) | トラックバック

2006年2月19日

新潟歌舞伎みなと座公演

りゅーとぴあ劇場(新潟市民芸術文化会館)で行われた新潟歌舞伎鑑賞会のイベントの演目は、前半が市民劇団「新潟みなと座」による「弁慶上使」、後半が大歌舞伎(松竹)の若手俳優による「与話情浮名横櫛〜源氏店」だった。

前半はアマチュア、後半はプロの芝居である。もちろん、比較するのは酷だが、やはりプロは段違いに上手かった。そして、芝居そのものが滅法面白かった。

じつは、歌舞伎を劇場で観るのは高校のとき以来である。先月の「フィガロの結婚」はオペラ初体験だったが、今回は実質的な歌舞伎初体験。長く継承されている芸能や文化は、伝統というだけで無理に継承されているのではなく、面白いから継承されているということが分かった。そして、これが分かるようになるには年齢を重ねる必要があるようだ。

投稿者 kmatsu : 21:37 | コメント (0) | トラックバック

2006年2月18日

風呂釜交換

風呂釜が壊れた。何度操作しても火が点かない。

いま住んでいるところは築40年以上を経た集合住宅である。鉄筋コンクリート3階建て、階段部分が2つあって、階段を挟んで2戸が向かい合い、1つの階には4戸が収まっている。なつかしい作りだ。昭和30〜40年頃に企業や役所が用意した家族寮はだいたいこんな作りである。企業の寮は姿を消しつつあるが、役所の寮はまだまだ現役で活躍している。

この集合住宅、見かけだけでなく中身も昭和30年代である。フローリングや水回りは何度か手が入っているようだが、基本的な間取りや設備は変っていない。和室は3つあり、押し入れの奥行きは深い。もちろん、ガラス窓の内側には障子がある。リビングは板張りで、キッチンのシンク(流し)は小さく、調理台は狭い。これでも、建てられた頃は新しい暮らしぶりを実現するハードウェアだったのだろう。給与生活者の核家族をターゲットとした、いわゆる公団住宅の暮らしぶり。

いちばん古さを感じさせるのは風呂場である。

タイル張りの床に、ステンレス製の風呂桶と風呂釜がでんと置いてある。風呂桶は排水管に接続されておらず、栓を抜くと水は床にどっと流れる。40年前に住んでいた家の風呂場はたしかにこんな案配だった。風呂桶は木製で、床には木のスノコがあり、タライや椅子も木製だった。父親に頭を洗ってもらっている間ぎゅっと目を閉じていたことや、熱い湯に10数えるまで浸かっていたこと、そして父親が頭を洗うときの手荒な感触まで風呂場の記憶とともによみがえってくる。

結局、風呂釜は補修部品がなくて修理できず、新品に交換した。もちろん、風呂場の雰囲気は変わらない。

この集合住宅もそろそろ廃止が計画されているとも聞く。例によって古いものに愛着が湧くが、実際に生活してみると、40年の間にここで生活した人たちのことを想像せずにはいられない。最初のころの世帯主はとうに現役を引退している。その子供たちは、ちょうど自分そのものだ。核家族の先駆者たちは、どのように老年と中年を過ごしているのだろうか。

投稿者 kmatsu : 14:15 | コメント (2) | トラックバック

2006年2月12日

新潟食の陣、

新潟 冬 食の陣は、新潟の食を堪能する企画である。さまざまなイベントが用意されている中で、「食のおもしろ話」というミニツアーの「067 日本海の酒と肴」に行ってきた。岩室温泉の造り酒屋と老舗旅館を訪問する趣向である。
綿綿亭綿屋

まず、宝山酒造を訪問。

酒造りの現場訪問もそこそこに、利き酒に移行する。吟醸酒、純米酒、醸造酒。原酒。利き酒と称して、つぎつぎに飲み進んでいくうちに、すっかりいい気分である。いい気分ついでに、醸造酒を一升瓶で購入。すべてが特別仕立ての吟醸酒ではなく、主力製品に蔵元の個性が出るような気がする、などといっぱしの口をききながら。

つぎに、綿綿亭綿屋でご主人の説明を受けながらお料理をいただく。

素材も料理もすばらしかった。もちろん、宝山酒造のお酒も一緒である。ちなみに、この旅館は廊下のそこかしこに飾りや調度が置かれ、落ち着いた中にも華やかな雰囲気を備えていた。ギャラリーも開いている。

その後、ツアーの一行から離れて、別の旅館に移動。ここは職場の知り合いを通じて、お風呂だけ入る特例を認めてもらっていた。これまた風情ある旅館で、風呂場では酔いも手伝ってしばし眠ってしまった。

投稿者 kmatsu : 22:13 | コメント (0) | トラックバック

2006年2月11日

三川温泉スキー場

三川温泉スキー場は、新潟中央I.C.から磐越道に乗って数十分で到着する。自宅からゲレンデまで1時間かからない。この事実を知ったら、今まで出かけるのが億劫で縁遠かったスキーが俄然身近に思えてきた。さっそく、ウェア類を購入し、スキー場に繰り出した。
三川温泉スキー場

最後にスキーに行ったのはじつに24年前。しかも、それが唯一の経験である。ただでさえ自分の運動能力は低い。そこで、スキー場のスクールでプライベートレッスンを半日受けてみた。インストラクターは、還暦を過ぎて地元に帰ってきた人の良いおじさんで、超がつくほどの初心者に教えるのも手慣れている。半日たつころには、緩い斜面を自力で滑り降りるまでにはなった。

三川温泉スキー場は近く、物価は安く、何より人が少なくてよろよろ滑っていても安心である。食堂もじつに庶民的だ。カツ重はこんな感じでうまい。卵とじでなくソースカツをご飯の上に乗せるカツ丼やカツ重は、新潟では多い。

そして、スキーそのものも楽しめた。いまさら競うわけでもなくヘタなりに楽しんでいこう。まずはウェアだけでなく、板とクツも購入してしまおうかと思い悩んでいる。

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2006年2月 7日

桜が創った「日本」

佐藤俊樹『桜が創った「日本」』(岩波新書)は、桜を巡る言説の発掘調査である。

明治以降日本全国に広まったソメイヨシノ。そして、それ以前の日本人が愛でた本来の桜たるヤマザクラ。こうした言説自体が近代以降の産物だと著者は言う。

ソメイヨシノを愛でることが日本人固有の美意識であるとする言説も、それ以前のヤマザクラこそが本来の美意識だという言説のいずれも、ソメイヨシノがそこかしこに広く植え付けられてから成立したものだそうだ。

緑色の新芽より先に色の薄い花が咲くこと、開花時期が同一であること。こうした特質ゆえに、ソメイヨシノは視界全体に花があふれる光景を生み出した。だが、和歌では、そんな風景がソメイヨシノが出現する以前から詠われていた。想像が現実に先駆ける、あるいは、想像を現実化したのがソメイヨシノである、と著者は述べる。

国民国家たる日本とソメイヨシノとの関わりがえんえんと論述されるが、ソメイヨシノが散華の美学を表象するといった単純な図式に収斂されることはない。この論述は、筆者がソメイヨシノを好きになれないといった違和感に根ざしおり、それゆえに曲がりくねっていて、正直に言ってわかりにくい。

わたくしは、ソメイヨシノも、ヤマザクラも、シダレザクラも、それぞれに賞翫できる、といった微温的なことを言っておこうか。花見客の酔態だって、ソメイヨシノが作る風景の一つとして受け入れられる。

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2006年2月 5日

単一民族神話の起源

「単一民族神話の起源」は小熊英二の最初の著作である。

「単一民族神話の起源」は464ページ、次の「<日本人>の境界」は792ページ、そして「<民主>と<愛国>」は968ページに達している。厚さを増すとともに、内容の熱さも増している。

本書は修士論文を元に1995年に出版された。後の著作で深掘りされるテーマの大半が、荒削りながらすでに提示されている。

以下に引用する箇所は、小熊英二の立ち位置と資質を明確に示しているだろう。

【だが、このように公然と帝国主義・軍国主義という言葉を使い、異民族は権力で支配しろといいきれるほど、ほとんどの国体論者は冷徹にも自覚的にもなれなかった。くりかえすが、天皇統治を権力支配でないと強弁するのが、国体論の根本である。たいがいの人間は、自分が悪をなしているという自覚のもとに断固として行動できるほど、強くもなければ自律的でもない。善をなしているという主観のもとにおいてのみ、人間は相手の痛みに対しかぎりなく無感覚に、無反省になれるのである。帝国内異民族の位置づけとしては、もっとソフトなものが必要であった。】(p.142)

(高群逸枝について)
【アナーキストの詩人がなぜ古代史研究に入ったのかは、一つの謎である。ただ一般論として、人は現在に疲れ絶望したとき、未来か過去に望みをかける。そして、この場合、未来と過去は不可分だ。なぜなら、未来を占うには現在がどのように形成されてきたか、すなわち過去を知らなくてはならない。そして往々にして、未来の改革は、過去に実在したとされる黄金時代の復古というかたちで行われる。フランス革命のジャコバン派が古代共和制の復活を夢み、明治維新が王政復古のスローガンのもと遂行され、あらゆる近代国民国家が太古からの正統性を唱えて建国し、共産主義さえもが原始共産制社会を想定したように。そして高群もまた、人為的道徳に束縛されない女性解放の理想像を、古代史のなかにみいだしていった。】(p.188)

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2006年2月 3日

パブリックアート

公共空間に展示されている三次元工作物や絵画を一般にパブリックアートという。上野の西郷さんのような特定個人を顕彰する彫像は、パブリックアートとは呼ばれないようである。なんたって、アート。芸術なのだから。

さて、これは新潟駅構内。題して「三美神」である。
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こちらは駒場の東京大学先端技術研究所構内。題名は見あたらなかった。

街中でみかけるパブリックアートの彫像ってなぜか裸体が多い。そして気恥ずかしい。

投稿者 kmatsu : 23:59 | コメント (0) | トラックバック