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2004年1月11日
招魂碑(4)
明治40年(1907年)に建立された招魂碑である。
1905年の日本海海戦で連合艦隊はロシアのバルチック艦隊を撃破した。この碑で讃えられているのは、連合艦隊の旗艦である戦艦三笠の乗員である。といっても、厳密には戦死者ではない。日本海海戦における三笠の戦死者は8人にすぎないが、海戦の後、凱旋した佐世保港で火薬庫の爆発事故を起こして沈没し、339人が命を落とした。そのときの死者である。歴史的な大勝利の直後だっただけに、戦死と同様に扱われたのだろう。
なお、戦艦三笠の数奇な運命はこれにとどまらない。沈没から2年で引き上げられて現役に復帰したものの、1922年のワシントン軍縮会議の決議に従って廃船が決定され、1925年に日露戦争の博物館として保存された。ところが、1945年に占領軍からクレームを受けたため、平和的な施設に転用することで延命が図られた。艦橋、煙突、砲など、甲板にあるほとんどすべてのものが撤去された。砲塔の跡に水族館が設けられ、甲板にダンスホールが建設されたという。1952年、サンフランシスコ講和条約によって日本が独立を回復した後、ふたたび日本の国有財産になったが、荒廃はさらに進んだ。この時期の写真を見ると、さながら巨大な鉄屑である。復元が完了したのは1961年だった。
というわけで、現在の記念館三笠は本物の上に作られた模造品とでもいうべきものなのである。
このあたりの話は、木下直之の「世の途中から隠されていること −近代日本の記憶」(晶文社、2002年刊)という本を参考にした。これは、忘れられたり書き換えられたりした近代日本のさまざまなモニュメントを発掘する趣向の好著である。
投稿者 kmatsu : 2004年1月11日 23:44
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