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2004年1月24日

春節

さる1月22日は中国の旧正月「春節」だった。日本では生活諸事のめりはりがなくなる中で正月のありがたみも薄れているが、中国ではいまだに特別なイベントである。人々は生まれ故郷に帰り、家族が一堂に会して新年を祝う。新年を迎える瞬間には花火を打ち上げ、爆竹を鳴らす。

たまたま4年前に上海で春節に遭遇した。街中に花火や爆竹の爆発音が鳴り響き、硝煙が街路を覆う。さながら市街戦である。

すべてディジタルヴィデオからのスクリーンショットである。撮影中の自分の声が生々しく収録されているが、明らかに高揚している。春節を迎える上海の人々の気分が当方にも伝染したかのようだ。

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2004年1月20日

ホテル・エンパイア

1964年に竣工した日本初の高層ビルである(21階建て)。1990年代中頃まで営業していたらしい。

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2004年1月18日

老人のための残酷童話

倉橋由美子の新作である(講談社, 2003)。短編集だが、主人公はすべて老人である。

登場する老人は皆くせ者だ。もちろん、著者も70歳近くなっているのだから立派な老人だし、これまたなかなかのくせ者である。食わせ者ともいえよう。10篇のなかでは、老いた哲学者や、老いた仏教の老子のくせ者ぶりが印象的だった。老いて衰えるのではなく、濃厚になるものを描いているのである。

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本人の人々

南伸坊の形態模写集である(マガジンハウス, 2003)。爆笑した。

南伸坊は、数年前の「歴史上の本人」(現在は朝日文庫)でも見事な形態模写を披露していた。歴史上の有名人の外見を模写すれば本人の思考を再現できるという狙いだったが、たしかに外見のみならず「本人」としての発言のなりきりぶりが見事だった。

今回は現代の有名人を模写する趣向の雑誌記事を単行本化している。雑誌の連載とは逆に、新しい順に収録している。時間が経過すると、旬の題材というより、歴史的な事実を確認するような趣がある。また、前作以上に、「本人」としての発言が素晴らしい。本人の発言や決まり文句を引用するだけでなく、本人が言いそうなこと、あるいは、本人が本心で思っていそうなことを、見事に発言している。これこそ本人である。

それにしても、あれだけ個性的な面相と頭蓋骨の持ち主である。写真だけではとても本人に見えない例もあるのだが、発言を読んでいると次第に本人に見えてくるのが不思議である。

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2004年1月17日

LENI RIEFENSTAHL FIVE LIVES

レニ・リーフェンシュタールの生涯を写真で紹介する書物である。(TASCHEN, 2000)

レニ・リーフェンシュタールが、100年を超える生涯に、ダンサー、女優、映画監督、写真家、ダイバー(兼写真家)の5つの人生を送ったというのがタイトルの含意である。レニ・リーフェンシュタールは昨年102歳で亡くなったが、本書の出版には写真の選択などで協力したという。

レニ・リーフェンシュタールはナチスと深い関わりをもった映画監督として有名だが、女優、写真家、ダイバー(兼写真家)としても豊かな才能を持っていたことがうかがえる。いずれも過酷な環境条件下での仕事という点も見逃せない。女優時代はアーノルド・ファンク監督の山岳映画というジャンルで活躍したが、撮影現場は零下数十度の山上や氷河である。写真家としてはヌバ族を撮影するために現地で生活し、ダイバーとしては深海に潜水している。ダイビングを始めたのは70過ぎだ。長寿を支える身体が頑健だったことは確かである。

映画作品は、1933年のナチス党開会の模様を伝える「意志の勝利」と、1936年のベルリン・オリンピックの記録映画「美の祭典」「民族の祭典」を観たことがある。いずれも印象は強烈だ。第二次大戦後にナチス協力者として指弾されたのは、製作にあたって全面的な支援を受けた事実だけでなく、作品そのものに強い訴求力があったことも理由だったと推察できる。ナチスの理念に共鳴はしなかったかも知れないが(そう弁明しているが)、結果的に深くコミットしたと見なされても仕方はあるまい。

党大会に参集する数十万人の隊列、オリンピックの競技者やヌバ族の人々の肉体、深海の生物。60年以上の年月の間に作られた作品には一貫した美意識が感じられる。それは、異様で力強いものがもつ美しさの賛美である。ナチスの選良主義や人種差別との関連を指摘されることもあるが、本人としては美的な関心だったのだろう。

なお、裏表紙はカメラを縦位置に抱えたレニ・リーフェンシュタールの1940年のポートレートである。スクリューマウントタイプのライカに、大口径のレンズと大型の単体ファインダーが取り付けられている。ディテールは見えないが、レンズはSummitar 50mm/f2.0で、単体ファインダーは正像ビドムのようだ。本体は、軍艦部がレンズマウントまで伸びていない、スローシャッターダイヤルがある、巻き戻しノブに視度補正ノブがない、などからIIIもしくはIIIaと判断できる。巻き戻しレバーが巻き戻し位置にあるのでじつはフィルムが入ってないんじゃないか、なんてことも読み取れる。

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2004年1月12日

ニシノユキヒコの恋と冒険

「ニシノユキヒコの恋と冒険」は川上弘美の新作である(新潮社)。

帯の紹介文が軽快かつ的確に内容を示している。

「女には一も二もなく優しい。姿よし、セックスよし。女に関して懲りることを知らない。だけど最後には必ず去られてしまう……とめどないこの世に、真実の愛を探してさまよった、男一匹ニシノユキヒコの恋とかなしみの道行きを、交情あった十人の女が思い語る。はてしなくしょうもないニシノの生きようが、切なく胸にせまる。著者初の連作集。」

ニシノユキヒコはさまざまな年齢で登場するが、性格は一貫している。それを語る十人の女たちは年齢や境遇がみごとに描き分けられている。この色男話は、源氏物語でも、伊勢物語でもなく、宮本常一の「忘れられた日本人」に収められた「土佐源氏」に比すべきだろう。

例によって恋心の切なさを描いてきわまりないが、中学校時代のニシノユキヒコのエピソードは鮮烈である。読んでのお楽しみ。

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2004年1月11日

招魂碑(4)

明治40年(1907年)に建立された招魂碑である。


(招魂碑は右下の石碑)

1905年の日本海海戦で連合艦隊はロシアのバルチック艦隊を撃破した。この碑で讃えられているのは、連合艦隊の旗艦である戦艦三笠の乗員である。といっても、厳密には戦死者ではない。日本海海戦における三笠の戦死者は8人にすぎないが、海戦の後、凱旋した佐世保港で火薬庫の爆発事故を起こして沈没し、339人が命を落とした。そのときの死者である。歴史的な大勝利の直後だっただけに、戦死と同様に扱われたのだろう。

なお、戦艦三笠の数奇な運命はこれにとどまらない。沈没から2年で引き上げられて現役に復帰したものの、1922年のワシントン軍縮会議の決議に従って廃船が決定され、1925年に日露戦争の博物館として保存された。ところが、1945年に占領軍からクレームを受けたため、平和的な施設に転用することで延命が図られた。艦橋、煙突、砲など、甲板にあるほとんどすべてのものが撤去された。砲塔の跡に水族館が設けられ、甲板にダンスホールが建設されたという。1952年、サンフランシスコ講和条約によって日本が独立を回復した後、ふたたび日本の国有財産になったが、荒廃はさらに進んだ。この時期の写真を見ると、さながら巨大な鉄屑である。復元が完了したのは1961年だった。

というわけで、現在の記念館三笠は本物の上に作られた模造品とでもいうべきものなのである。

このあたりの話は、木下直之の「世の途中から隠されていること −近代日本の記憶」(晶文社、2002年刊)という本を参考にした。これは、忘れられたり書き換えられたりした近代日本のさまざまなモニュメントを発掘する趣向の好著である。

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招魂碑(3)

この招魂碑は古い。明治13年、1880年に建立されている。

西南戦争の戦死者を讃えるものである。西南戦争は明治国家確立後の最後の内戦である。これ以降の戦争は対外的な戦争となる。この碑で讃えられている人物は熊本で戦死している。当時の関東の農村では熊本も異国と大差なかったことだろう。

なお、碑文には、納税と兵役が国民の義務となったといった記述が見える。明治初期の国民国家形成期の意識の一端が窺えて興味深い。

投稿者 kmatsu : 22:53 | コメント (0) | トラックバック

招魂碑(2)

墓石だが、招魂碑と同じ意図で建立されたとおぼしき石碑を見つけた。


ごらんの通り住宅地の道路に面した小さな墓地だが、左手に一基、右手に三基の石碑がある。いずれも個人の墓碑であり、後方の家代々の墓石とはまったく異なる意匠である。また、一基をのぞいてすべてが戒名ではなく俗名と軍の階級が用いられており、戒名が記された一基も俗名と軍の階級が併記されている。戦死者をとくべつに顕彰する意図が見える。三基並んだ墓碑は兄弟だろうか。

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2004年1月 6日

招魂碑(1)

近所には防空壕以外の戦跡もあった。

DSCF0117.jpg
これは農家の片隅に立てられている。碑面には「陸軍砲兵柏木仙蔵之碑」と彫られている。

DSCF0100.jpg
これは農地に立てられている。南方戦線で戦死した人物を讃えている。

いずれも墓地ではなく、道路から見える場所に単独で立てられている。戦死は、自然死、病死、事故死とは違う。お国のための名誉の死でもあれば、戦争に行かなければ避けられた死でもある。そんな思いが、異境でさまよう死霊を招き寄せて顕彰する碑を建てさせたのだろうか。六十年を経てなお碑の周囲は浄められ、花が供えられている。

なお、1869年、東京九段に招魂社という神社が建立された。それが、靖国神社に改められたのは10年後の1879年だった。

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2004年1月 4日

江戸川乱歩全集2(講談社版)「パノラマ島奇談」

江戸川乱歩というと、小学生の時にポプラ社版の少年探偵団シリーズを読んだだけだった。一般向けの小説はこれが初めてである。「パノラマ島奇談」のほかに、「人間椅子」、「踊る一寸法師」、「人でなしの恋」、「一寸法師」などが収録されている。

一読して、少年探偵団シリーズを思い出した。もちろん、愛欲のモチーフや怪奇趣味はより濃厚だが、受ける印象は小学生のときと変わらない。当方が三十数年を経て刺激に鈍感になっているのも確かだが、描かれる世界が同一であるのも事実だろう。人物設定が類型的とよく指摘されたようだが、人形の中に死体が埋め込まれているといった怪奇な趣向も、これまた繰り返し登場する。

そして、怪奇な趣向が視覚的な描写に終始するのも特徴的である。さながらパノラマである。したがって、映像とは相性がよい。明智小五郎が登場する場面では、条件反射のように天知茂の顔が浮かんできた。土曜ワイド劇場の明智小五郎シリーズが、原作の世界を忠実に再現していたことが確認できたのは収穫だ。

昭和初期の探偵小説・怪奇小説では、夢野久作と久生十蘭を読んだことがあるが、いずれも印象は強い。夢野久作はちくま文庫版の全集まで買ってしまった。

なお、少年探偵団シリーズを刊行していたポプラ社の、現在の人気シリーズは「怪傑ゾロリ」だという。隔世の感がある。

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2004年1月 2日

Photoshop Tips レベル補正

Photoshopの機能の1/100程度しか使っていない自信がある。意識しないでお世話になっている機能はACE(Adobe Color Engine)だが、意識して使う機能で一番頻度が高いのはレベル補正である。このレベル補正で、最暗部と最明部のスライダーを移動するとき、オプションキー(WindowsだとAltキー?)を押しながらマウスを押すと、オープンしている画面が暗転し、サチュレートする(すなわち、つぶつれてしまう)画素が明示される。暗部は思い切ってつぶしてしまうと、コントラストが引き締まる。

なお、8ビットモード(256階調)でレベル補正すると、補正後のヒストグラムが櫛の歯抜け状態になってしまうが、画像を16ビットモードに変換してレベル補正し、また8ビットモードに戻すとこれを防げる。

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2004年1月 1日

鳥獣保護区

これもFinePix F700による作例である。

それにしても、家の近所のこの地域、しばらく前までは鳥獣が保護されていなかったらしい。

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