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2003年8月31日

PARADE

ジャック・タチの "PARADE" を見た。遺作である。サーカスのパレード(エリック・サティも同名のバレエ音楽を手がけていたっけ)の芸を見せる趣向である。印象は物悲しい。蓮實重彦はジョン・フォードの作品で一番好きなのが遺作の「荒野の女たち」だと言っていたが、タチの映画で一番好きなのが "PARADE" だと言ったら似ているのかな。わたくしは言えません。

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付記

この作品にはさまざまなサーカス芸だけでなく、タチのパントマイムが多く収録されている。見事な身のこなしである。だが、これ以外の作品ではパントマイム自体が主役になることはなかった。タチの出自がパントパイム芸にあることは間違いないが、最終作では映画の力を信じなかったのかとさびしい気持ちになる。

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2003年8月30日

TASCHEN Magazine

The TASCHEN Magazine Fall 2003が届いた。

TASCHEN社はハイアートからサブカルまでクセの強い企画を得意とする美術書の出版社である。今回のTASCHEN Magazineの巻頭特集は "CHINESE PROPAGANDA POSTERS"。文化大革命期を中心とした中国の政治プロパガンダポスターの集大成である。さわりだけでも面白い。

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2003年8月28日

「嵐が丘」の謎を解く

『「嵐が丘」の謎を解く』(廣野由美子著、創元社)を読んだ。

神学的解釈、ドッペルゲンガーのモティーフ、時間の秘密、空間に埋め込まれた秘密、第二世代(鏡の世界)などなどの視点で謎の解明を試みる。だが、筆者自身があとがきに記すように、謎解きに終わりはない。

「『嵐が丘』の謎はなかなか解けない。謎解きの試みの行き着く先には,しばしば行き止まりが待っている。しかし、この作品には、謎解きが決して無駄な試みではないことを読者に信じさせる何かがある。(途中省略)『嵐が丘』は、謎解きへと駆り立てる磁力において比類ない小説であるばかりではなく、答えのない謎を解くことの意義を私たちに確信させてくれる作品でもある。この『誘引力』の本質が何であるかが、『嵐が丘』の最大の謎であると言えよう。」

終わりのない謎解きは苦痛や苦行ではなく、喜びをもたらすらしい。

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2003年8月17日

ふしぎの植物学

花や草木の名前には疎いのだが、生命力旺盛な植物が繁茂している様には目を奪われる。そんなわけで、「ふしぎの植物学」(田中修著、中公新書1706)を読んでみた。

植物の体を維持するメカニズムもさることながら、やはり生殖に関するくだりが興味深い。ソメイヨシノや二十世紀梨など有名な植物品種の多くが、一本の木から接ぎ木や挿し木で増えてきた、などという話を読むとおもわず「へぇ〜ボタン」(「トリビアの泉」)を押したくなる。

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2003年8月16日

時間の本性

「時間の本性」(植松恒一郎著、勁草書房)を読んだ。

二つの時間の概念を整理統合する試みである。

  • 「量」としての時間=アリストテレス的時間=自然の時間
  • 過去・現在・未来という「時間様相」としての時間=アウグスティヌス的時間=精神の時間

    過去・現在・未来を、アリストテレスの可能態と現実態の概念を用いて整理するところが興味深い。知覚する現在において可能態としての時間と現実態としての時間が一致し、過去はそれが分離する。未来は過去が投影されるという。

    とはいえ、中島義道の「カントの時間論」における過去・現在・未来の説明の方が腹に落ちた。中島によると、人間の時間認識にとっては過去がすべてであるという。もっぱら怒るオヤジの芸で書物を乱作しているが、哲学者としての芸も深い。

    投稿者 kmatsu : 23:02 | コメント (0) | トラックバック

    2003年8月14日

    アナロジーの罠

    「アナロジーの罠」(ジャック・ブーヴレス著、新書館)を読んだ。

    現代思想家と呼ばれる人たちが数学や科学の用語を濫用している事実を暴いたのは『「知」の欺瞞』(ソーカル+ブリクモン)である。本書はこれを援護射撃する。それ以上の深みはないが、現代思想の総本山フランスでは援護射撃にも意味があるのあろう。

    なお、ゲーデルの不完全性定理だとかハイゼンベルクの不確定性原理は、名称が魅力的なんだろうな。

    投稿者 kmatsu : 22:53 | コメント (0) | トラックバック

    2003年8月13日

    教養主義の没落

    「教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化」(竹内洋著、中公新書1704)を読んだ。

    教養主義時代の学生の出身階層を学部ごとに統計から分析し、それをフランスのエコール・ノルマルと比較する。その結果、日本の教養主義が、農村出身者の刻苦勉励や上昇志向に基づくことを明らかにしている。

    また、近代日本のサブカルチャーの位置付けが面白い。以下のようなチャートを掲載している。(座標形式から表形式に変更)

    武士・
    農民文化
    町人文化
    西欧文化への志向(+)教養主義ハイカラ
    西欧文化への志向(-)修養主義江戸趣味

    また、「全共闘運動は、教養主義への愛憎並存からくる一種絶望的な求愛運動だった」という心を打つ記述もある。

    投稿者 kmatsu : 15:22 | コメント (0) | トラックバック

    2003年8月12日

    勝手にビデオ

    石川三千花の映画イラストエッセイ「勝手にビデオ ノってけ200本」を読んだ。この人のコメントって底意地が悪くて的確なのでつい笑ってしまう。この十年くらいの映画事情に疎いので、内容も新鮮だった。といいながら、ゴダール作品など旧作に反応してしまう自分がいじらしい。「気狂いピエロ」がまた見たくなった。

    投稿者 kmatsu : 22:59 | コメント (0) | トラックバック

    2003年8月11日

    産業遺構(交通)

    1966年から1967年にかけて1年間だけ営業運行し、以後35年間にわたって「運休」扱いだったモノレールの遺構である。「運休」扱いだっただけに、放置ではなく最低限度の保守が施されている。

    産業遺構1
    産業遺構2
    (いずれもハッセルブラッド500C, ツァイスディスタゴン50mm/f4, イルフォードXP2)

    じつは昨年正式に「廃止」が決定された。長年の運休状態は終了し、遺構は撤去されるという。このモノレール沿線には、21階建ての日本初の高層ビルの廃墟もある。幼少期から慣れ親しんだ景色だけに残念である。

    投稿者 kmatsu : 22:29 | コメント (0) | トラックバック

    2003年8月 8日

    Monochrome with Crown Graphic

    Crown Graphic (Ektar 127mm/f4.7)によるモノクロのテスト。

    夏の午後1 (Presto400, f22, 1/10)
    夏の午後2 (Presto400, f22, 1/100)

    f22まで絞り込んでいるが、まだシャキっとしない。

    じつは、ピントグラスはルーペを当てて無限遠が出ていることを確認した。ということは、フィルムホルダーのフィルム面と、ピントグラス面の位置の不整合か? 絞り込みによる回折か? それともブレか? 謎は深まるばかり。

    ちなみに、モノクロフィルムは1枚90円程度だが、現像代は1枚600円だった。トータルで1枚700円弱。やはり自分で現像するしかないか。

    投稿者 kmatsu : 23:55 | コメント (0)

    ダランベールの夢

    17年間のんびりと探し続けたディドロの「ダランベールの夢」(岩波文庫)を読み終えた。長い間探してきた本だったが、読んでみてそれほどの感興は沸かなかった。百科全書派の人は時の常識を覆そうとして奇矯な書物を作った。ヴォルテールの「カンディード」もへんてこな作品だった。

    投稿者 kmatsu : 23:34 | コメント (0) | トラックバック

    2003年8月 4日

    お姫様とジェンダー

    若桑みどりの「お姫様とジェンダー  アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門」を読んだ。

    基本的に「真の男女共同参画社会を目指す」ジェンダー論書である。著者が指導する女子学生(「女子大生」ってのもかなりジェンダーばりばりの表現だと思うけど、「女子大の学生」ならいいのかしら)たちにディズニーの3つのアニメ作品(「白雪姫」、「シンデレラ」、「眠り姫」)を観せ、感想から議論を喚起する。感想文からは、ジェンダー学の講義の進展に合わせてみごとに「蒙が啓かれていく」さまが読みとれる。

    若桑みどりの著作は読んだことはないが、「芸術新潮」のセザンヌ特集号での語りっぷりはみごとなものだった。1935年生まれだから、大学という男社会では苦労したのだろう。全体の議論は目新しくないが、最終章に綴られる思いは真剣で打たれた。

    なお、感想文の中に「白雪姫」の小人たちを障害者と喝破したものがあった。それで思い出したのだが、マドリードに留学していた男から聞いた話。かの地では一般テレビ局でもハードコアポルノグラフィーを放送するそうだが、その男は、白雪姫と7人の小人たちを題材にしたものを観たことがあるという。もちろん、本当の侏儒たちが小人役を務めていた。ベラスケスの絵でも、宮廷の侏儒たちが描かれているが、これもかの地の伝統なのだろうか。

    投稿者 kmatsu : 00:09 | コメント (2) | トラックバック

    2003年8月 3日

    Botanicality

    先週、ハッセルブラッドを担いで散歩したときの記録である。

    Botanicality

    レンズはすべて Plannar 100mm/f3.5で、フィルムは KODAK E100G。炎天下でf11くらいに絞り込んでいるし、露出が不足しているショットもあるし、色味もそろっていない。荒っぽい仕上がりである。

    投稿者 kmatsu : 23:45 | コメント (0) | トラックバック

    2003年8月 2日

    Walking with CONTESSA

    先日、ツァイスイコンのコンテッサを抱えて散歩に出かけた。このカメラのテッサー45mm/f2.8はカラーはイマイチだが、際だってシャープである。

    無用ドア
    天然暖簾
    (いずれもフィルムはKODAK PORTRA 400BW)

    作りもがっしりして好ましい。難は、実像ファインダーが覗き方によっては画角を外してしまうこと。そして、コマ間が不規則なことである。だが、この写りが楽しくてときおり持ち出すことになる。

    投稿者 kmatsu : 23:51 | コメント (2) | トラックバック