2003年6月30日
「愛国」問答
香山リカと福田和也の『「愛国」問答』(中公新書ラクレ)を読んだ。
「ぷちナショナリズム症候群」の続編に当たる。前作は世の中の現象の紹介に終始して食い足りなかったが、本作は突っ込みが深い。香山リカが福田和也に食い下がって多くを引き出そうとしている。まさに、対談ならぬ問答である。
問題は深く重い。香山リカが「序」に記す当面の決意は以下の通りである。
『私はあえて、もう少しだけ、「アメリカに賛同するにしても抵抗するにしても、日本は憲法を改正して軍備を整えて心をひとつにしてナショナリズムの道を歩むしかない。それが現実というものだ」という意見に屈服することなく、種々雑多の人たち、強い人や弱い人、すぐれた人やダメな人がうごめく「ゆるい社会」を作る道を模索し続けることにしよう。「勝ち組」になる以外の”抜け道”が、どこかにまだあるかもしれないではないか。』
重い決意を述べる「序」に対して、福田和也の「あとがき」は軽い。編集部のセッティングの不手際を指摘しているだけで笑える。
考えてみれば、自分も基本的には高度成長と戦後民主主義の風土で成長した。小学校のときから、意識的に西暦を使ってきた。官庁相手の商売を始めた直後は元号も使ったが、平成への改元と、西暦2000年(「ミレニアム」なんてのもすでに死語ですかね)のおかげで、元号を使う機会も減った。皇室・天皇を求心力にしたナショナリズムは成立しにくいのだ。
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2003年6月28日
食玩「グリコ 昭和の思い出」シリーズ
またケムール人を取ってしまった。(写真) 前回はモノクロだったが、今度はカラーだ。考えてみれば「ウルトラQ」はモノクロだった。モノクロの方がオリジナルの雰囲気を伝えている。
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2003年6月27日
ぷちナショナリズム症候群
「ぷちナショナリズム症候群」(香山リカ、中公新書ラクレ)を読んだ。小熊英二の「<癒し>のナショナリズム」と相通じる内容だが、版元のせいか、気分的な現象の紹介に終始し食い足りない印象である。ささやかな気分としての「ぷちなしょ」がいずれ奔流となって溢れ出すというが、一つ一つの現象には頷けるものの、それが決定的な事態の予兆だと言われても正直にいって実感が湧かない。もちろん、実感が湧かないところが怖いのかも知れないけど。
じつは、香山リカの書物を読むのは初めてだった。黒縁メガネの顔写真は、ペンネームと同じようにイメージ戦略なのだろうか。
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2003年6月25日
アダムスファミリー
電車のボックスシートの対面に座った女性に目が釘付けになってしまった。美女、かも知れない。六十代、ロングヘアー、そして厚化粧。マブタにも隈取りと塗り込みが施されていて、目を閉じると白目を剥いているように見える。目玉を描き込みたい衝動に駆られてしまった。
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2003年6月23日
フジフィルム・写ルンです
「デザインの解剖(2)=フジフィルム・写ルンです」(佐藤卓著・美術出版社, 2002)を読んだ。「レンズ付きフィルム製品」の成り立ちと中身を紹介しているが、最終的にはこの商品の存在そのものにまで考察が及ぶ。あとがきを引用する。
『写真機という道具に魅力を感じる人も多くいるわけであるが、写真を撮れて写真が手に入ればいいと考えている人が以外に多かったということが「写ルンです」の販売実績を見れば分かる。「写ルンです」の存在を考えてみると、例えば家や車など我々の周辺の道具を今一度検証してみて、その目的はいったい何だったのかを考えることにつながる。そしてモノを手に入れるということは、どういうことなのかを考えさせられる。』
なお、米国のコダック社も二十世紀初頭に写真機ではなく写真をユーザの手元に残すリサイクルシステムを実現したことがある。
ちなみに、わたくしが自分で「写ルンです」を買ったのは一度だけである。
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2003年6月22日
ハヴァネロ
世界で一番辛いハヴァネロという唐辛子を使ったサルサソースを試してみた。料理はタコライスである。結論はとにかく辛い、そして、うまい。タコライスを作成した家内からは、辛ければ何でも美味いのかと疑念を突きつけられたので、料理がよかったのだと一応は回答した。実際のところ、辛さは麻薬的であり、より刺激の強いものを求めてしまうものである。
「文化誌」という題名のついた本にはつい手を出してしまうが、2年ほど前に読んだ「トウガラシの文化誌」(アマール・ナージ著・晶文社)も読み甲斐があった。同書によると、辛さを示すスコヴィル単位という尺度があるそうで、タバスコソースが3万から5万度なのに対し、ハヴァネロは30万度とのことだ。もちろん、加工されたサルサソースが原料のハヴァネロほど強力なスコヴィル値をもっているかどうかは分からない。だが、感覚的にタバスコソースより強烈なことは確かである。
ハヴァネロの産地コロンビアの人々は、生の実をかじっているという。うらやましい。ぜひ試してみたい。そんな気持ちが強くなる。典型的な中毒者である。
とはいえ、食した今は「後遺症」を恐れている。明朝の出勤途上に「発症」しないことを祈るばかりだ。
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心臓抜き
岡崎京子の「うたかたの日々」を読んた。子供のころだったら泣けたかも知れないけど、今は奇妙なディテールの積み重ねが面白いと思う。
睡蓮の花、カクテル製造機、思想家バルトル、ネズミ、縮んでいく部屋、そして心臓抜き、などなどといった奇妙なディテールは、若い男女たちの恋愛話より印象に残る。そういえば、四方田犬彦の最初の書物「リュミエールの閾」でもこうしたディテールが紹介されていたっけ。
「リュミエールの閾」は二十代の四方田犬彦の初々しい書物である。ボリス・ヴィアンやダイアン・アーバスはこの本に教えてもらったな。
「うたかたの日々」の早川書房版の原作は本棚を探しても見つからなかった。
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2003年6月21日
食玩「世界の神話シリーズ」
不動明王を2つ取ってしまった。
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不動明王はこんなヤツです。
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2003年6月20日
へそ
情景を考えると気持ち悪くなる慣用句。
へそを曲げる
へそで茶を沸かす
そういえば、今朝、国語の乱れが報じられていた。「気の置けない」、「役不足」は間違えてなかったけど、「流れに掉さす」を間違えていた。そんなものか。
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<癒し>のナショナリズム
大著「<民主>と<愛国>」に継ぐ小熊英二の新刊である。ゼミの生徒の卒論を併載している。草の根保守運動と目された「新しい教科書を作る会」を支援した団体の実態を分析し、『つねに自分が「普通」であることを立証したいという不安におびえ、そのために<普通でないもの>を発見し、排除しつづけてゆくことでアイデンティティを保とうとする人々によって作られる共同体』と結論する。
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2003年6月19日
Unintended composition
ちょいと気になる物件でした。(写真)
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2003年6月18日
ユング「オカルトの心理学」
翻訳は島津彬郎。「魂=常態では自我に属する無意識の複合体」、「霊=普遍的(集合的)無意識」というあたりはともかく、Parapsychology(超心理学)にはついていきかねる。
投稿者 kmatsu : 23:01 | コメント (0) | トラックバック
グロリア
ジョン・カサベテスが監督したというよりは、ジーナ・ローランズがひたすらかっこいいことで記憶されている作品である。製作は1980年。今回ビデオで観たのが初見。カサベテス/ローランズの作品は「オープニング・ナイト」や「ラブ・ストリームズ」を観ているのに、なぜか「グロリア」だけご縁がなかった。
ジーナ・ローランズは本当にかっこいい。拳銃を構えた立ち回りが堂に入っている。
また、昔一緒に暮らした男に会いに行くときに髪を直す仕草や、その男に再開する場面での振る舞いにはぞくぞくする。連れ合いを魅力的に撮るといえば、ジャック・ドワイヨン/ジェーン・バーキンのコンビというのもあったな。ドワイヨン映画でのジェーン・バーキンは可愛かった。40過ぎなのに。
なお、唐突に子供を引き受ける中年女というシチュエーションは、山中貞雄の「丹下左膳余話・百万両の壺」を想起させる。子供嫌いが徐々に馴染んでいく過程は、市丸姐御もなかなかよかった。